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第1巻(1話〜8話)
第2巻(9話〜15話)
第3巻(16話〜22話)
第4巻(23話〜29話)
第5巻(30話〜36話)
未収録話(一部)はこちら


Tシャツネタ

第1話   シッダールタ(ブッダ)  釈迦。ブッダの本名(サンスクリット語形)。ガウタマ・シッダールタ。  アーメン(イエス)  ヘブライ語。「そのとおりです」などの意味。  祈りや賛美歌の終わりに使われる。 第2話   ミレニアム(イエス)  ヨハネの黙示録より。キリストは復活し千年間世界を直接支配するという予言がされた、とされている。千年紀。       
この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。そ の後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証 しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司 となって、千年の間キリストと共に統治する。(ヨハネの黙示録20章2〜6)
 ニルヴァーナ(ブッダ)  涅槃のこと。悟り。煩悩を吹き消した状態。または如来の死。 第3話   スジャータ(ブッダ)  ブッダは6年苦行を続けたが、苦行のみでは悟りをえられないと理解し、  苦行により生死の境にあった体を清めるために、なんとか川にたどりつき沐浴を行った。  スジャータはそのとき沐浴をしていたブッダに乳がゆを供養し命を救ったという娘。  その後ブッタは心身を回復させ、悟りをえた。  Mike Is Not Ambitious.(イエス)  Mikeとは英語で大天使ミカエルのこと。  軍神の性格を持つ。警官・救急隊員(兵士)の守護聖人。  is not ambitious はDouay-Rheims Bibleからのもので (フランスのドゥエ大学の関係にあるイギリス研究者(カトリック)がランス(仏)で発行した聖書)  「礼を失す」という意味だそうです。(情報ありがとうございます!) 第4話   ほけきょう(ブッダ)  法華経。大乗仏教の経典。  13(イエス)  忌み数。  キリスト教神話ではサタンを13番目の天使としている。  聖書においてはイエスを裏切ったユダは最後の晩餐で13番目の席に着いた。 第5話   白い象(ブッダ)  ブッダの母は白い象がお腹に入ってくる夢を見て、妊娠を知ったとされている。  父と私と精霊(イエス)  三位一体。(キリスト教教義)  「父なる神」と「ロゴスである子なるイエス・キリスト」と「聖霊」の3つが、  すべて尊さが同じで、神は固有の三つの位格でありながら、実体は同一であるという意味。  これら三つの位格を「父と子と聖霊」と言い表す。(「精霊」は間違い。たぶんTシャツはブッダがつくっている設定だからだと思われる。) 第6話   だって○ッダなんだものなあ(ブッダ)  たぶん、「だってブッダなんだものなあ」。   サムソンとデリラ(イエス)  旧約聖書の士師記より。ヘブライの民のヒーロー(士師)12人の物語を描いたのが士師記。  サムソンとは凶暴で純情な怪力の持ち主であり、デリラとは異教徒ペリシテ人に買収されサムソンの弱点を聞き出した美女。  デリラはサムソンを骨抜きにし、ついに弱点を聞き出しペリシテ人はそれによってサムソンを捕らえるが、  のちにサムソンによって復讐をされる。 第7話   ダンマパタ(ブッダ)  法句経。ブッダの語録の形をとった仏典。語義は「真理の言葉」。     東方三博士(イエス)  イエス誕生の際、ヘロデ大王から「新しいユダヤ人の王」について聞き、訪れ拝んだとされている。  ヘロデ大王は新たな王の誕生を恐れ、幼児の虐殺をさせていたため、  博士はヘロデ大王に幼児を見つけたら知らせるよういわれていたが、ヘロデ大王を避け、帰った。 第8話   バラモン(ブッダ)  インドのカースト制度の頂点。司祭。  またはこの階級出身の僧侶。     魚の絵2つとパンの絵5つ(イエス)  マタイによる福音書において、イエスは2匹の魚と5つのパンで5千人を満腹にしたという話が記述されている。    
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。 (マタイによる福音書:14章14節〜21節)

第9話   天上天下(ブッダ)  ブッダが生まれたとき、どちらにも自分より尊い者はなく、天と地を指差して「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説。     ヨシュア(イエス)  ヘブライ語でイエス。 第10話   ラーフラ(ブッダ)  羅ご羅。ブッタの実子で弟子。  ラーフラという言葉は「障害」という意味を持つ。     善いサマリア人(イエス)  ルカによる福音書より。イエスが律法の専門家に「私の隣人とは誰か」と問われした話。  追いはぎにおそわれ、半殺しにされた人物を祭司もレビ人も助けなかったが  サマリア人はその人を哀れに思い介抱した、という話。  サマリア人とは、当時蔑まれていた民族で、  専門家に対してイエスは誰が襲われた人の隣人になったかと問い、  専門家がその人を助けた人だと答えると「行って、あなたも同じようにしなさい。」といった。 第11話   ぼんてん(ブッダ)  梵天。仏教の守護神である天部の一つ。(天部とは仏教における神々)  釈迦に教えを人々に説くよう説得した。  古代インドの神ブラフマーを仏教に取り入れたもの。  ブラフマーは古代インドにおいて万物の根源とされたブラフマンを神格化したもの。  この神が仏教に取り入れられ、守護神となり梵天と称された。  釈迦が悟りを開いた際、それを広めるようすすめたのが、  梵天と帝釈天である。  帝釈天と一対の像として祀られることが多い。     アブラハム100歳(イエス)  多神教を奉じる地で唯一の神を信じていたアブラムは、75歳のとき神に大いなる国民の父にすると約束される。  しかし妻に子はできなかったので奴隷に子供(イシマエル:後のアラブ人の祖先)をつくった。  そして99歳のとき、再度神は現れ、約束を確認しアブラハムと改名させた。  アブラハムは100歳になり妻は90歳、二人に子供ができるとは思われなかったが神は「なぜ笑うのか。神にできないことがあろうか」と言い、  事実子供イサクが生まれた。  白カラシの種(ブッダ)  後にブッダの弟子となるキサーゴータミーの出家前の話。  彼女はわが子の死が信じられず、背に子供の遺体を背負い、薬を求め家々を訪ねていた。  どの家も彼女の相手をしなかったため、彼女はブッダに薬を求めた。  ブッダは薬を作ることを承諾し、町で一人も死者を出したことのない家から、白カラシの種をもらってくるように言う。  それがないと薬はできないといわれ、キサーゴータミーは町へ戻っていく。  そしてキサーゴータミーが再びブッダの前に現れたとき、彼女はすでに遺体を背負ってはいなかった。  彼女は種を求めることで愛しい者を喪う悲しみは自分だけのことではないと知り、子を埋葬していた。  彼女はそののちブッダの弟子となる。 第12話   竜王ムチリンダ(ブッダ)  竜王の一人、ムチリンダ。コブラ。竜王は水に関係する場所を守護する。  ブッダが瞑想をしているとき、大雨や台風におそわれた。  このときムチリンダが後ろからブッダを守ったとされている。    ベロニカ(イエス)  聖人。ゴルゴタの丘を十字架を背負い歩くイエスを憐れみ、  汗を拭くように自らのヴェールをさしだした。(ゴルゴタの丘とは、キリストが十字架に磔にされる地)  キリストはその申し出を受けて汗を拭き、彼女にヴェールを返した。  するとヴェールにはキリストの顔が浮かび上がっていた。 第13話   カンタカ(ブッダ)  ブッダは出家に際し迷っていたが、愛馬カンタカの蹄の音が出家を促しているようであり、  ブッダはついに決心し、カンタカにまたがり出家した。    サロメ(イエス)  イエスの弟子。墓で、復活したイエスに最初に出会った。  ちなみにイエスの復活後最初に会ったとして有名なマグダラのマリアとともにイエスにあっていたとされます。  また、同じ名前で踊りの褒美に洗礼者ヨハネの首をおじのヘロデ王にねだったとされる  ヘロディアの娘「サロメ」も存在します。(情報提供:ざかりやさん、よしやさん)  ちなみにヘロディアはのちにヘロデの妻となります。  (ヨハネの首をねだったのはヘロディアの命だった)  どちらを指しているのかは、作者のみぞ知る、です。 第14話   出家しました(ブッダ)  シャーキャ族の王子であったが29歳で出家。     ばべる(イエス)  神の門、の意味。  バベルの塔。天に届く塔を建設しようとするが、神により言語をバラバラにされ、人々は世界各地に散ることになった。 第15話   サイのツノ(ブッダ)  ブッダの教え。犀(サイ)の角のようにただ独り歩め。   知らない×3(イエス)  イエスの弟子ペトロは最後の晩餐のとき「鶏が鳴く前にあなたは三度私を知らないというだろう」といわれていた。  イエスが逮捕されるとペトロは弟子の中でただ一人逃げずにイエスを追ったが、  ほかの人から問い詰められ、三度も「イエスなんて知らない」といってしまう。  そしてちょうどそのとき鶏が鳴いた、という話。
第16話   降魔成道(ブッダ)  ごうまじょうどう。降魔とは悪魔に勝つことを指し、  降魔成道とは、釈迦が悟りを開こうとしたとき、  それを邪魔しようとした悪魔の軍勢が訪れたが、  それをすべて降伏させ、悟りを得たことを指す。     大工の子(イエス)  イエスの母マリアの婚約者ヨセフは大工だった。(イエスの養父)  大工道具を持ったヨセフの像もある。  イエスも大工として働いていたことがある。
6:1そこから出発して,彼は自分の故郷に入った。弟子たちも彼に従った。6:2安息日になると,彼は会堂で教え始めた。耳を傾けた大勢の人は驚いてこう言った。「この人はこうした事柄をどこから得たのだろう」。また,「この人に与えられた知恵はいったい何だ。このような強力な業が彼の手によって生じるのはどうしたことだ。6:3この人は大工ではないか。マリアの息子で,ヤコブ,ヨセ,ユダ,シモンの兄弟ではないか。その姉妹たちは我々と共にここにいるではないか」。人々は彼のために不快になった。(マルコによる福音書6章)
第17話   クシナガラ(ブッダ)  村。釈迦が入滅した場所。四大聖地の一つ。     銀貨30枚(イエス)  ユダがイエスを祭司長たちに売った値段。  ちなみに当時、銀貨30枚とは、牛一頭、もしくは奴隷一人の値段である。 第18話   水桶返し(ブッダ)  ブッダの子であるラーフラは人を困らせ喜ぶところがあった。  ブッダはそんなラーフラに足をあらわせて、  その水を飲めるかとたずね、飲めないと答えたラーフラに、  お前もその水と同じだといった。  水はもともとは美しい。人間もそうであり、  しかしお前は人を馬鹿にしてこの水のように汚れた、  と水桶を蹴り叱った、といわれている。     やっぱりろばが好き(イエス)  イエスは十字架にかけられる6日前、ロバに乗ってエルサレムに入城した。  危険な土地に向かうイエスが、戦闘能力のないロバに乗っていたことはとても重要な意味を持った。   第19話   カーシーブランド(ブッダ)  釈迦は王子だったころ、香、服、下着はすべてカーシー産以外使わなかった。     ダビデ(イエス)  マタイによる福音書で、イエスはダビデの子孫とされている。  ダビデとはイスラエル王国を建設した王。
1:1 アブラハムの子,ダビデの子,イエス・キリストの系図。(マタイによる福音書1章)
  第20話   10人(ブッダ)  弟子の中でもっともすぐれた10人が十大弟子と呼ばれる。     12人(イエス)  十二使徒。使徒とは、イエスによって選ばれた弟子。   第21話   ディーパンカラ(ブッダ)  燃燈の原名。  釈迦がスメーダとして前世で修行をしていたとき、  未来悟りを開き釈迦仏となるだろうと、予言した仏が燃燈仏という。     アララト(イエス)  アララト山。ノアの箱舟が大洪水のときに流れ着いたとされる場所。   第22話   元スメーダ(ブッダ)  釈迦の前世のころの名前。のちに、輪廻転生を繰り返し兜率天となり、儒童梵士(菩薩)となる。     刑事ポリス(イエス)  デカポリス。イエスが奇跡を起こした地方の名。  7つのパンと魚で4000人を満腹にしたり、耳や目の不自由な人を癒した場所。
第23話   セーター元ネタ  最上の牛(ブッダ)  ブッダはシャカ族の王子として生まれ、  ゴータマ・シッダールタと名づけられた。  このゴータマ(ガウタマ)とは「最上の牛」という意味。  ちなみにシッダールタは「目的を達したもの」 第24話   Tシャツ元ネタ  山派(イエス)  イエスが祈るためによく山に登っていたことか?  (海よりは湖のほうがよく聖書には登場する)  詳細募集中。  Tシャツ元ネタ  ゴータマ(ブッダ)  ブッダはシャカ族の王子として生まれ、  ゴータマ・シッダールタと名づけられた。  Tシャツ元ネタ  はじめの七歩(ブッダ)  ブッダが生まれたとき、七歩歩き、八方を見渡したがどちらにも自分より尊い者はなく、  天と地を指差して「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説。  しかしこれはもともとは釈迦以前の第一仏・毘婆尸仏が誕生の際に言ったとされる言葉で、  釈迦が生まれた際、周りの人がその言葉で賛美したことが由来となって  生まれたとたん釈迦が言ったのだという説になった。  自己中心な意味ではないが、解釈にはさまざまな説がある。 第25話   Tシャツ元ネタ  粘土の雀(イエス)  イエスが五歳のころ、安息日に粘土をこね、12羽の雀を作った。  安息日にしてはならないことだったため、ユダヤ人がヨセフ(イエスの養父)に忠告すると、  ヨセフはイエスに大声でしかりつけた。  イエスはそれを聞いて手を打ち、雀たちに「行け」と告げると、  粘土だったはずのその雀は空へと飛び立っていった。  Tシャツ元ネタ  金の鹿(ブッダ)  ブッダが自分の前世であると言った「金色の鹿」。  この鹿はベナレスという町に住むマハーダナカという男がおぼれているのを助けた。  しかしこのマハーダナカは鹿と約束をしていたのにもかかわらず、  褒美欲しさにベナレスの王に、金色の鹿の場所を教えてしまった。  王がその場所にやってくると、鹿は自ら王の前に行き、  マハーダナカとの約束のことを話した。  王はマハーダナカの恩知らずな振る舞いに怒り、彼を殺そうとしたが、  鹿は命の大切さを説き、それをやめさせ、  彼に(王がお触れを出したとおりに)ほうびを与えさせた。  鹿は王とともに都へ行くと、そこで命の大切さを説いた。 第26話   Tシャツ元ネタ  根比〜べ(イエス)  コンクラーベと根比べの駄洒落。  コンクラーベはカトリック教会でのローマ教皇選挙のこと。  また、立候補や選挙運動などが一切禁止で、缶詰状態で選挙をすることから、  「コンクラーベは根比べ」と駄洒落を言うのはけっこう一般的。  Tシャツ元ネタ  (歯の絵)×40(ブッダ)  四十歯相。通常の人は32本しかない歯が、40本あり、しかもどれもが白く美しい歯であること。  仏の体に備わっているという特徴(三十二相八十種好という。32個の見てわかる特徴と、80個の微細な特徴)のうちの一つ。  三十二相の22番目。 第27話   Tシャツ元ネタ  うらぼんえ(ブッダ)  盂蘭盆会と書く。仏教行事。父母や祖霊を供養し、倒懸の苦を救う行事。  現在の「お盆」は古神道の先祖崇拝の儀式や神事と、この盂蘭盆会が習合したものである。  目連(モッガラーナ)の伝説を基にしたおり、  本編にもあるように、モッガラーナの母が餓鬼道に堕ちてしまい、  (餓鬼道とは他で説明する)  まったく何も口にできなくなった母を哀れに思ったモッガラーナが釈迦に実情を話すと、釈迦は  安居の最後の日にすべての比丘たちに食べ物を施せば、  親にもその一端が口に入るだろうと答えた。  モッガラーナはそのとおりにし、比丘たちは喜びで踊った。  そしてその喜びが餓鬼道に堕ちているものにも伝われ  母親の口にも入った。  また、別の話では釈迦がモッガラーナに亡者救済の秘法を教え、  それによって母親は救われ、歓喜の舞を踊りながら昇天したともされる。  前者を説いているのは盂蘭盆経であり、  後者は盂蘭盆経が出来上がったころに中国で成立したとされ、  盂蘭盆経は偽経であり、実は釈迦当時の教説には地獄などの概念は登場していない。  ただし民間伝承では盆踊りが母親の天へ昇る姿をあらわしているとされる。    Tシャツ元ネタ  るるど(イエス)  ピレネー山脈のふもとに存在するフランスの小さな町。  カトリック教会の巡礼地。  1858年に村の少女ベルナデッタにマッサビエルの洞窟のそばで聖母マリアが出現した。  当初は誰も彼女の証言を信じなかったが、  聖母マリアが彼女を「無原罪の御宿り」であると述べた、という  彼女の証言によって周囲の人々は信じるようになったとされる。  「無原罪の御宿り」とは無学な彼女が知るはずもない教会用語だったからだ。  ベルナデッタには聖母マリアが18回も出現したとされており、  また、聖母は「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」といったとされ、  近くに水は無いため川に行こうとしたベルナデッタに  聖母が洞窟の岩の下のほうへ行くように指差したとされる。  そこには泥水が少しわいてきており、次第にそれは清水となりのめるようになった。  これが奇跡の泉とされるルルドの泉のはじまりである。  ルルドの泉による治癒の奇跡に関しては  ベルナデッタは無関心であったとされ、  否定したり信じなかったという形跡も残されてはいないが、  報告された奇跡的なケースに関与していたわけでもなく、  彼女自身も持病があったがルルドの泉に行くことはなかった。  奇跡的治癒の報告に関しては、カトリック教会の調査により  「科学的・医学的に説明できない治癒」であるか判断されるが、  ルルドの泉に関しては上記のように記録された数例がある。  カトリック教会が奇跡的治癒をこうして認めることはまれであり、注目を浴びた一方で、  奇跡と認められた件数が少ないことなどから批判的検証も行われている。  ただしカトリック教会が奇跡的治癒と認めるには  かなり厳しい科学的・医学的、そして信仰心の調査が行われるため、  奇跡とされる件数が少なくなることは、  現代において致し方ないともされている。 第28話   Tシャツ元ネタ  ガリラヤ(イエス)  パレスチナの地名。  イエスが宣教をはじめた場所。  Tシャツ元ネタ  あらかん(ブッダ)  阿羅漢と書く。ブッダの尊称の一つであったが、  のちに、施し、尊敬をうけるにふさわしい聖者を指すようになった。 第29話   Tシャツ元ネタ  スッドーダナ(ブッダ)  ブッダの父親。浄飯王。  シャーキャ族の王。  Tシャツ元ネタ  ゲッセマネ(イエス)  最後の晩餐のあとにイエスと弟子たちが祈った場所。  ユダによってイエスが捕らえられた場所。  オリーブの木が植えられた庭園風の場所。  オリーブ山のふもと。
第31話  ベツレヘム(イエス)  イエスが生まれた地。  ストゥーパ(ブッダ)  仏塔を意味する英語。  同じ意味でパゴダがあるが、パゴダはアジア風を意味することが多く、  逆にストゥーパはインド風の仏塔を意味する。  仏塔とは、今回の話にもあるように卒塔婆のこと。  ストゥーパはもともと、ブッダが入滅したのちの遺骨の塚で、  釈迦を祀って、涅槃の地に立てられたのが最初。  そののち仏教が広まると同時に、  各地に立てられるようになったが、  そのうち遺骨がたりなくなり、宝石、経文、高僧の遺骨などが祀られている。  ブッダの遺骨自体は細かく砕けられ、  ブッダが入滅してから200年後、8万余の寺院に配布され祀られたとされる。 第31話  アノーマー川(ブッダ)  カンタカによって出家を決意したブッダは、  カンタカに乗り、従者チャンナとともにアノーマー川まで行くと、  そこで身に着けていたものをすべてとり、従者にわたし、  ブッダはぼろをまとって、カンタカとチャンナに別れを告げ、  出家修行者となった。  らくだ in 針の穴(イエス)  イエスは弟子たちを見回して言われた。  「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」  弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。  「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。   金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」  (マルコ10章)  マタイ・ルカにも同様の記述があります。 第32話  明けの明星(イエス)  ルシファーとは、キリスト教が発祥する前から、  明けの明星を指す言葉として使われていた。  今ではルシファーは明けの明星を神格化したものだとされているが、  この言葉は旧約聖書にも新約聖書にも使われてはいない。  つまり悪魔や堕天使にはまったく無縁なものだった。  ちなみに明けの明星とは明け方に見える金星のこと。  金星は明け方と夕方にしか見ることができない。  チャンナ(ブッダ)  ブッダが出家する以前に従えていた召使。  出家する際にもアノーマー川までついていき、  自分にお供をさせてくれるよう懇願した。   第33話 第34話  一切皆苦(ブッダ)    「いっさいは苦なり」  ここでいう苦とは苦しみだけではなく、不安定、不満や虚無なども意味する。  四法印のひとつ。  もともと、仏教の教えを3つの考えが特徴付けていたが、  そこに一切皆苦印を加えて、  四法印とした。  INRI(イエス)  ラテン語 IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM  の頭文字。  磔刑の際の罪状で、  十字架の上にかけられた。  「ユダヤの王、ナザレのイエス」という意味。 第35話  (魚の絵)×153(イエス)  イエスが磔刑され、  ペトロがイエスとともにいるのではなく漁師の生活に戻ろうとしていたときの話。  ペトロはイエスだとわかると、最初に挨拶をしようと湖に飛び込みます。
イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。 ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。 シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
 ちなみに、153という数字は  1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17  で、7は完全数、10は地上的な数字と考えられているため、  その7と10が合わさった17による153という数字は意味がある、とも考えられます。  ジャータカ(ブッタ)  前世の物語。仏教の言葉。ジャータカ物語。 第36話  マハーパジャーパティー(ブッダ)  マハパジャパティ。  ブッダの母の妹。  ブッダの母はブッダを産んで一週間で死亡した。  そのため妹であるマハパジャパティが、ブッダを育てた。  のちに女性で最初の内弟子(比丘尼)になる。  良い羊飼い(イエス)  イエスは自分のことを  「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる」  「わたしはよい羊飼いであって、わたしの羊を知り、   わたしの羊はまた、わたしを知っている」  と言っている。(ヨハネによる福音書)  羊とはイスラエルの民のこと。 inserted by FC2 system