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第44話 あそか(ブッダ) 無憂樹のこと。サンスクリット語。 無憂樹とは、 無憂樹の下でブッダは生まれたとされている。 そこから、出産や結婚などに関係した幸福の木とされている。 仏教三大聖樹の一つ。 カナ(イエス) 地名。ガリラヤにある。 マンガに登場する、イエスの母マリアがイエスにぶどう酒がなくなったことを伝えに来たというエピソードは、 このカナでの婚礼の場でのエピソードである。 ちなみにこれが最初に行われたイエスの奇跡であるとされている。(ヨハネの福音書2章) 宮殿、釈迦族の滅亡 ブッダはもともと、釈迦族の王子であり、幼少期は王子として豊かな生活を送っていた。 この釈迦族はブッダが晩年のころに隣国に攻められ滅亡している。 釈迦族は自尊心が非常に強かったとされ、 この滅亡もそうした高慢が原因だったのではとされている。 ブッダのお母さんの扉絵の意味 母摩耶(マーヤー)の脇からブッダは生まれたとされている。 ちなみに右脇。 これはインドの聖典リグヴェーダにおけるプルシャの歌で プルシャを解体したとき、両腕からラージャニア(王族・武人階級)が生まれたところから、 この階級の出産は脇から生まれたと表現されることによっている。 また、ブッダを妊娠する際、母は6本の牙をもつ象が胎内に入っていく夢を見たとされている。 扉絵で、母親が脇に象を挟んでいるのはそこらへんのことを表しているのだと思われる。 関係ないでしょ、婦人には ガリラヤのカナでの婚礼の際、 マンガにもでてくる通り、ぶどう酒がなくなり、 それに気づいたマリアがイエスに声をかけた。 このとき、イエスは 「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」 といったとされている。ヨハネ2章。 この言葉は「ぶどう酒がなくなったということに、わたしとあなたは何の関係があるのか」という訳と、 「あなたとわたしとは何の関係があるのか」という訳の2通りが存在し、 訳者によって異なっているようです。 マリア降臨 マリアが人の前に現れることを、カトリックの用語で「聖母の出現」という。 カトリック教会は、こうした出来事を公認するかどうかを表面しており、 カトリック教会公認の出現や、未公認の出現、否定された出現などがある。 聖母の出現は数千以上の報告があり、調査しきれないため、 否定でも公認でもない未公認の出現が多くある。 洗礼のタイミング、煉獄 煉獄とは、罪の償いがいまだに残っており、浄化が必要なものがいくところだとされている。 地獄は救いがないが、煉獄は救いが約束されている。 キューピッドとゼウス、ナルシス ゼウスとはギリシア神話の主神。 ちなみにキューピッドはローマ神話の愛の神であり、 ギリシア神話には登場しない。 ローマにも独自の神話が存在していたが、 その後ギリシア神話を参照し、 ローマの独自の神を、ギリシア神話の神にあてはめていったとされている。 キューピッドはそのうちのひとつで、 ギリシア神話の愛の神、エロースと同じとされる。 ちなみに、キューピッドと天使が似た姿をしているが、 この2つはまったくの別物である。 キューピッドはギリシア神話の神であるが、 天使は神の使いである。 しかももともとキューピッドには羽は生えておらず、 これはのちのちにできたイメージのようです。 来たれ ムリなく一歩ずつ天国の階段を登りたい者よ 無理なく一歩ずつ、で検索すると野村証券の積み立てがトップに出ました。
第45話 イサク(イエス) イサクの燔祭。旧約聖書の創世記に登場する。 アブラハムの子供。 アブラハムの妻は不妊でありなかなか子供は生まれなかった。 しかしあるとき、子供の誕生が予言され、その通りに子供が生まれた。それがイサクである。 イサクが成長した際、神はアブラハムの信仰心を試すために イサクを焼いてささげよと告げた。 するとアブラハムはそのとおりにしようとし、イサクもそれに従おうとした。 そのため神はアブラハムの信仰心を確かめ、それを止めたとされている。 ちなみにイサクは180歳まで生きた。 シータヴァナ(ブッダ) 寒林のこと。寒林とは人の死体を捨てるための墓地。 スダッタがシータヴァナにいるブッダを訪れた際、 人の死体が恐ろしくはないのかと尋ねると、 ハエの死骸はこわくないのになぜ人の死体はこわいのか、 死はハエも人も同じなのに人の死体がこわいのは 自分が死ぬのが怖いからだ しかし、人は必ず死ぬのにそれにおびえるのは無駄ではないか、 とブッダは答えたとされている。 この答えにスダッタは感銘を受け、 ブッダのために修行する場所を作ることにした。 これがのちの祇園精舎である。 (祇園精舎とはブッダが説法を行ったとされる寺院) 八百万の神 神道の神。 実際に八百万いるわけではなく、 たくさんいる、という意味である。 くつ屋の小人 グリム童話。 まじめな靴屋が眠っている間に、 小人たちがすばらしい出来の靴を作り上げるというストーリー。 カンダタ 芥川竜之介「蜘蛛の糸」 ある日の朝、釈迦は極楽を歩いていた時に蓮池からはるか下の地獄をふと覗き、 地獄の罪人のカンダタを見つける。 カンダタは生前、様々な悪事を行った為に地獄に落とされていたのだが、 「いくら小さな蜘蛛といえど命のあるものに違いない。 その命を奪い取るということはいくらなんでもかわいそうだ」と思い、 小さな蜘蛛を助けた事があった。 そこで釈迦は地獄の底のカンダタを極楽への道へと案内するために、 一本の蜘蛛の糸をカンダタに下ろす。 カンダタは極楽から伸びる蜘蛛の糸を見てとても喜び、 「これで地獄から脱出できるばかりか極楽に行けるかもしれない」と考える。 そこで蜘蛛の糸をつたって、地獄から何万里も上にある極楽へと上り始めた。 ところが糸をつたって上っている途中でふと下を見下ろすと、 数限りない地獄の罪人達が自分の下から続いてくる。 このままでは糸は重さによって切れて落ちてしまう。 カンタダは「この蜘蛛の糸は俺のものだ。 お前達は一体誰に聞いて上ってきた。下りろ、下りろ」と喚く。 自分だけが地獄から抜け出そうとするカンダタの無慈悲な心が 釈迦には浅ましく思えたのか、次の瞬間蜘蛛の糸が、 皮肉にもカンダタのぶら下がっている所から切れてしまう。 愚かなカンダタは再びに地獄に堕ちてしまった。 (wikipediaより) 人からもらったものじゃないとだめ 情報募集中。 人の魂をリサイクル 輪廻のこと。 輪廻とは動物や人に何度も生まれ変わることを意味する。 仏教においてはこの輪廻自体が苦であり、 そこから解脱することを目標にしている。 また、この輪廻において、「生まれ変わっても変わらない魂、我がある」と考えるのは、 仏教においては間違いであり、 輪廻は無我でなければいけないとされている。(そしてその無我を知るのが悟り) 聖布として展示 情報を募集中。
第46話 うぱり(ブッダ) 優波離。ブッダの十大弟子のひとり。 ブッダが王子だったころの執事だったという説や、釈迦族の王子たちの理髪師だったという説がある。 出身がインドのカーストにおいて下層の出身であった。 彼はブッダが帰国したさいに、釈迦族の王子たちがブッダに弟子入りをするらしいと聞き、 王子たちに従おうとブッダに弟子入りをした。 このときまだ王子たちは弟子入りをしていなかったので 先に出家をしたことになる。 そして、王子たちが実際にブッダに弟子入りをする際、 ブッダに先に出家したものを敬うべきだと命じられたため、 王子たちはカーストにおいて下層の出身であるうぱりにも礼拝をした。 このさいに、ブッダは、「釈迦族の高慢心をよくぞ打ち破った」といったとされており、 45話においてブッダが言っていた「釈迦族の滅亡の原因である高慢心」に対する ブッダの考えがよく表れたエピソードである。 「upあり(UPありがとう)」という意味ではない。 岩(イエス) イエスは神について、「岩」や「ちとせの岩」というふうに言い表すことが多くあった。 これは岩に「よりどころ」「支え」という意味があるためだと考えられる。 つまり岩とは神のこと。 二人の師、アーラーマ、アウェイ、根に持つ ブッダは出家したのち二人の師に師事したとされているが、 その二人とは、アーラーラ・カーラーマと、ウッダカ・ラーマ・プッタである。 このアーラーラ・カーラーマが一人である、という説と、 アーラーラという人物とカーラーマという人物、二人であるという説があり、 アーラーラとカーラーマが二人であるとした場合、ブッダの師は3人であるとされている。 マンガで登場しているのは前者のパターンである。 また、マンガではアーラーラではなくアーラーマと書かれている。 アーラーマはブッダが最初に師事した人物であるが、 ブッダはすぐにその教えの境地を得た。 それを知ったアーラーマは自分の弟子たちを率いてほしいと頼んだが、 ブッダはこの境地は真の道ではないとして立ち去った。 そしてその次にウッダカ・ラーマ・プッタを訪れたが、 ウッダカ・ラーマ・プッタのところでも同様のことが起き、 ブッダは立ち去ることとなる。 ハゲタカ 情報募集中。 輪廻、飛び級解脱 輪廻とは動物や人に何度も生まれ変わることを意味する。 仏教においてはこの輪廻自体が苦であり、 そこから解脱することを目標にしている。 また、この輪廻において、「生まれ変わっても変わらない魂、我がある」と考えるのは、 仏教においては間違いであり、 輪廻は無我でなければいけないとされている。(そしてその無我を知るのが悟り) なので、このマンガででてくる「人の魂をリサイクル」というのはそうした点で間違いであり、 ブッダがツッコミをしたがっている。 苦行林 「林」とは修行場のことであり、 苦行林とは、苦行をするための修行場のこと。 大工、ヨセフ ナザレのヨセフ。 マリアの夫であるヨセフは、大工である。 カトリック教会では労働者の守護聖人とされており、 かんなが、ヨセフの象徴である。 伝承によれば、イエスが活動を始める前に亡くなったとされているが、 福音書には書かれていない。 漁船、人間をとる漁師 ペトロやアンデレ、ヨハネやヤコブは元漁師。 マルコの福音書1章によると、 ペトロとアンデレは、漁の最中にイエスに、人間をとる漁師にしてあげようと声をかけられ、従い、 その近くでヤコブとヨハネの兄弟が網をつくろっていたので、 ヤコブとヨハネもイエスは呼んだ。 すると二人は父であるゼベダイと雇い人を置いて、 イエスについていったそうです。
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペトロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 (マタイによる福音書4章) |
(ラーフラがまだ戒をうけていないとき、戒をうけたものと普通の信者で別々に寝るよう釈迦が決めたため、ラーフラは釈迦と別々で寝なければならず、また、世話をしてくれる比丘もいないためどうしたらいいかわからず、トイレで寝たという話がある。翌朝事情を聞いた釈迦は戒をうけていないものでも勝手がわかるまで比丘の部屋にいてもよく、三日目までに部屋を探せるよう比丘に世話をしてもらってもよいと規則を変えた。) |
ヤハウェ・エロヒム[1]は地上に増えた人々やネフィリムが悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神に従う無垢な人」であったノア(当時600歳)に天使アルスヤラルユル(ウリエル)を通じて告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。ノアとその家族8人は一所懸命働いた。その間、ノアは伝道して、大洪水が来ることを前もって人々に知らせたが、耳を傾ける者はいなかった。 箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。 40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。 ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす生け贄を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。その契約の証として、空に虹をかけたという。 (創世記) |