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4巻 元ネタ・宗教用語


第23話   セーター元ネタ  最上の牛(ブッダ)  ブッダはシャカ族の王子として生まれ、  ゴータマ・シッダールタと名づけられた。  このゴータマ(ガウタマ)とは「最上の牛」という意味。  ちなみにシッダールタは「目的を達したもの」  バレンタインの由来  恋人を故郷に残した兵士は、士気が下がるという理由で  ローマ帝国皇帝によって、兵士の婚姻が禁止されていた。  キリスト教司祭のヴァレンティヌスは、そんな中  秘密に兵士を結婚させていた。  ヴァレンティヌスはそれが発覚し処刑されたが、  皮肉にも処刑に選ばれた日は、  家庭と結婚の神(女神)ユノの祝日2月14日で、  翌日はルペルカリア祭の始まる日だった。  当時、この祭りの前日(つまり14日)に女たちが桶に入れた紙を、  翌日に男がひき、ひかれた札の名の女は  その祭りの間ひいた男と一緒にいなければならなかった。  (そしてそのまま多くが結婚した)  こうした日にヴァレンティヌスは処刑され、  ルペルカリア祭の生贄とされたことにより  この日は恋人たちの日として祭日になった。  モテるアナンダ  アナンダは美男子で、女難をよく被っていた。  ブッダが在世のうちに悟ることが出来なかったのは  女難が多かったためだとも言われている。  また、アナンダはブッダに女性の出家を認めるように懇願し、  それを受け入れてもらっている。  メドゥーサ  ギリシャ神話の怪物。  髪が毒蛇。  見るものを石にする。  アナンダの献身  出家後、ブッダが死ぬまで25年間常にそばにおり、  身の回りの世話も行っていた。  そして教説をすべて記憶していたため、  経典を作る際にはアナンダの記憶に基づいて  ブッダの教えを口述したとされる。  アナンダの背中の手術  アナンダの背中にあるとき命にかかわる腫れ物ができた。  アナンダがあまりに痛がるのでブッダは医者になんとか助けて欲しいと頼んだ。  しかし当時麻酔があるわけでもなく、  医者は治療方法がなく困っていた。  そこに真剣にブッダの説法を聞いているアナンダが見かけられた。  今しかない、と思った医者はアナンダに近づき手術をはじめたが、  手術が終わり、ブッダが説法をやめるまでアナンダが気づくことは無かった。  年の数の豆  イエスは紀元前4年生まれなので、2013粒?    恋の矢 キューピッド  キューピッドの矢、とは、ローマ神話の愛の神クピードーの持つ矢のこと。  クピードーはギリシア神話のエロースと同一視されている。  サタン「世界をやろう」    洗礼を受けたあと、40日間イエスは荒野にとどまった。  そのときサタンに誘惑をされているが、  その際に高い山につれてこられ、全世界を見渡し、 「この国々のすべての権力と繁栄をやろう」と誘惑されている。  イエスは権力は要らない、ただ神に仕えるのみだと断っている。  飢餓状態  ブッダは6年苦行を続けたが、苦行のみでは悟りをえられないと理解し、  苦行により生死の境にあった体を清めるために、なんとか川にたどりつき沐浴を行った。  スジャータはそのとき沐浴をしていたブッダに乳がゆを供養し命を救ったという娘。  その後ブッタは心身を回復させ、悟りをえた。  1巻では、空腹だったためおいしく感じ、乳粥を一気に食べたが、  実はあまり好きではないとブッダは言っている。  エロスとアガペー  エロスは恋愛感情。  アガペーは神の人間に対する「愛」。無償の愛。  ヤショーダラー  16歳のときブッダが結婚した女性。  子供にラーフラがいる。
第24話   Tシャツ元ネタ  山派(イエス)  イエスは祈りのためによく山に登ったのでそのことか?  詳細募集中。  Tシャツ元ネタ  ゴータマ(ブッダ)  ブッダはシャカ族の王子として生まれ、  ゴータマ・シッダールタと名づけられた。  Tシャツ元ネタ  はじめの七歩(ブッダ)  天上天下唯我独尊  ブッダが生まれたとき、七歩歩き、八方を見渡したがどちらにも自分より尊い者はなく、  天と地を指差して「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説。  しかしこれはもともとは釈迦以前の第一仏・毘婆尸仏が誕生の際に言ったとされる言葉で、  釈迦が生まれた際、周りの人がその言葉で賛美したことが由来となって  生まれたとたん釈迦が言ったのだという説になった。  自己中心な意味ではないが、解釈にはさまざまな説がある。  シャカ族  ブッダはシャカ族の王子。  毒にやられた象  デーヴァダッタが象に毒針をさし、ブッダへとけしかけた。  凶暴になった象がブッダを踏むかと思われたが、  象はブッダの元でおとなしくなったとされる。  エリエリラマサバクタニ  ヘブライ語。「神よ、なにゆえに我を見捨てたもうや」  神とはつまりイエスの父。  ハシビロコウ  鳥。一時期動かない鳥として話題に。 第25話   Tシャツ元ネタ  粘土の雀(イエス)  イエスが五歳のころ、安息日に粘土をこね、12羽の雀を作った。  安息日にしてはならないことだったため、ユダヤ人がヨセフ(イエスの養父)に忠告すると、  ヨセフはイエスに大声でしかりつけた。  イエスはそれを聞いて手を打ち、雀たちに「行け」と告げると、  粘土だったはずのその雀は空へと飛び立っていった。  Tシャツ元ネタ  金の鹿(ブッダ)  ブッダが自分の前世であると言った「金色の鹿」。  この鹿はベナレスという町に住むマハーダナカという男がおぼれているのを助けた。  しかしこのマハーダナカは鹿と約束をしていたのにもかかわらず、  褒美欲しさにベナレスの王に、金色の鹿の場所を教えてしまった。  王がその場所にやってくると、鹿は自ら王の前に行き、  マハーダナカとの約束のことを話した。  王はマハーダナカの恩知らずな振る舞いに怒り、彼を殺そうとしたが、  鹿は命の大切さを説き、それをやめさせ、  彼に(王がお触れを出したとおりに)ほうびを与えさせた。  鹿は王とともに都へ行くと、そこで命の大切さを説いた。  服を着ない→着るのが自然  ブッダのころの修行者は裸形で徹底した苦行を行うのが一般だった。  これは霊魂は肉体によって濁り、さらに服によっても濁ると考えられていたからである。  ちなみにブッダはこうした苦行でも欲望が完全には失われないことに気づき、  苦行に見切りをつけることになる。  バチカンの近衛兵  バチカンとはローマ教皇庁によって統治される、  カトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地。  近衛兵の制服はミケランジェロのデザイン。  近衛兵はスイス人カトリック信徒から選抜され、  大変名誉なこととされる。  制服はカラーでみるとさらに派手ですので、検索してみてください。  カーシー  釈迦は王子だったころ、香、服、下着はすべてカーシー産以外使わなかった。  ラファエル  癒しの天使。  ラファエルとはヘブライ語で「神は癒される」の意味。  ユダヤ教では癒しを司る天使とされている。  キリスト教はユダヤ教から多くの思想を受け継いでいるため、  ラファエルの記述がある「トビト記」もキリスト教とユダヤ教がわかれるとき、受け継いだが、  のちにユダヤ教徒はそれを正典からはずしており、  キリスト教徒も旧約聖書正典に受け入れてはいたが、  ルターによってのちのちはずされ、  カトリック教会と正教会にみが今もトビト記を正典としている。  新約聖書ではガブリエルとミカエルの名前は現れるが、ラファエルは現れない。  (ヨハネによる福音書5章に癒しを行う天使が現れ、  それがラファエルと結び付けられて考えられている。)  こうした経緯により、ラファエルにささげられた教会や修道院はとても少ない。  去れ!マーラよ!  マーラは釈迦が悟りを開くときに瞑想を邪魔した魔神。  マーラはさまざまな欲望で釈迦を誘惑しようとしたが、  しかし釈迦は静かに瞑想を続け、悟りを開いた。  ブッダの歯磨き効果音「シャカシャカ」  釈迦にかけている…かも。(情報提供:なしふさん) 第26話   Tシャツ元ネタ  根比〜べ(イエス)  コンクラーベと根比べの駄洒落。  コンクラーベはカトリック教会でのローマ教皇選挙のこと。  また、立候補や選挙運動などが一切禁止で、缶詰状態で選挙をすることから、  「コンクラーベは根比べ」と駄洒落を言うのはけっこう一般的。  Tシャツ元ネタ  (歯の絵)×40(ブッダ)  四十歯相。通常の人は32本しかない歯が、40本あり、しかもどれもが白く美しい歯であること。  仏の体に備わっているという特徴(三十二相八十種好という。32個の見てわかる特徴と、80個の微細な特徴)のうちの一つ。  三十二相の22番目。  「外道」は仏教用語で仏教徒以外を指す言葉  その通りです。  天の国が来るとき  イエスはヨハネの「悔い改めよ、天の国は近づいた」という宣言から宣教を始めたといわれています。  終末の予言から人々を助けるためにイエスは宣教を始めたんだそうです。
「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言った」。 (マタイ3章)

24:29「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。24:30そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。24:31人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」 (マタイ24章)
 火や雹  黙示録に描かれた最後の審判に登場する。
小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。そして、わたしは七人の天使が神の御前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた。
また、別の天使が来て、手に金の香炉を持って祭壇のそばに立つと、この天使に多くの香が渡された。すべての聖なる者たちの祈りに添えて、玉座の前にある金の祭壇に献げるためである。香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った。それから、天使が香炉を取り、それに祭壇の火を満たして地上へ投げつけると、雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こった。
さて、七つのラッパを持っている七人の天使たちが、ラッパを吹く用意をした。
第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった。
第二の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、
また、被造物で海に住む生き物の三分の一は死に、船という船の三分の一が壊された。
第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。
第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった。また、見ていると、一羽の鷲が空高く飛びながら、大声でこう言うのが聞こえた。「不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者たち。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに。」
(ヨハネの黙示録)
 旧約聖書の預言  イザヤ書・エレミヤ書・エゼキエル書・12小預言書。  詳細についてはのちのちまとめるつもりですが、数が膨大なので情報をお持ちの方はご連絡いただけると幸いです。(とくに終末に関しての預言)  クライマックスはスプラッター  磔のこと。  マーラの幻覚  マーラは釈迦が悟りを開くときに瞑想を邪魔した魔神。  マーラはさまざまな欲望(幻覚)で釈迦を誘惑しようとしたが、  しかし釈迦は静かに瞑想を続け、悟りを開いた。  ファンファーレで大天使が仕事モード  黙示録より。  7人の天使たちが7つのラッパを吹くことで世界に終末が訪れると言われている。  螺髪(らほつ)  仏像の丸まった髪の毛。右巻き。  ベツレヘム  イエスが生まれた地。  ムチリンダ  竜王ムチリンダ。  竜王の一人。コブラ。竜王は水に関係する場所を守護する。  ブッダが瞑想をしているとき、大雨や台風におそわれた。  このときムチリンダが後ろからブッダを守ったとされている。  聖人の列  聖人とは神によって聖とされた信徒を指す。  教派によって違うが、正教会、東方諸教会、カトリック教会などは、  聖人を崇敬している。  また、聖人を崇敬する教派では、教会で聖人を公式に認定している。  この聖人に認定することを「聖人の列に加える」と言う。      ノアの洪水ののち、ノアに神がした約束の虹。  これにより虹は約束の徴(しるし)として扱われるようになりました。
更に神は言われた。「貴方達並びに貴方達と共に居る全ての生き物と、代々とこしえに私が立てる契約のしるしはこれである。即ち、私は雲の中に私の虹を置く。これは私と大地の間に立てた契約のしるしとなる。私が地の上に雲を湧き上がらせ、雲の中に虹が現れると、私は、私と貴方達並びに全ての生き物、全て肉なるものとの間に立てた契約に心を心を留める。水が洪水となって、肉なるものを全て滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、私はそれを見て、神と地上の全ての生き物、全て肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」そして神はノアに言われた「これが私と地上の全て肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(創世記9章)
 世界を7日で創れる  天地創造。創世記。正確には6日で創っている。(最終日は休んでいる)  1日目 原始の海の表面に混沌とした暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。  2日目 神は空(天)を作った。  3日目 神は大地を作り、海が生まれ、植物が出来た。  4日目 神は太陽と月と星を作った。  5日目 神は魚と鳥を作った。  6日目 神は獣と家畜と、神に似せた人を作った。  7日目 神は休んだ。  ムチリンダとりんご  創世記より。  アダムとイヴが禁断の木の実(りんごといわれる)を食べたきっかけは、  エデンの園でへびに誘われてのことです。  このことは原罪とされているため、  イエスはへびから林檎をもらい食べることをいやがったのではないでしょうか。  (情報提供:みぞいぬさん)  創世記1〜3章。  アダムとイヴはエデンの園を管理していた。  エデンの園には食用の果実の樹と、  中央には生命の樹と知識の樹が植えられていた。  アダムはエデンの園になるすべての木の実を食べることを許されていたが、  唯一、善悪の知識の木の実だけは食べることを禁じられていた。  しかし蛇がイヴをそそのかし、知識の木の実を食べさせ、  アダムもそれに従った。  食べたとたん二人は裸であることが恥ずかしくなり  いちじくの葉を身にまとった。  神の怒りに触れた二人はエデンの園から追い出され、  蛇は地に這うことを定められた。(つまり足を失った)  この話を失楽園と呼ぶ。  神がふたりを追い出したのは、  実を食べたからではなく言葉に従わなかったからだとされる。  ただし、知恵の樹の実だけでなく、  生命の樹の実まで食べ、ふたりが不死にならないように、  エデンの園から追い出したとも言われている。  このアダムとイヴが最初に犯した罪を原罪と呼ぶ。  この罪によって、人は本質を損ね、  神の救いなしには克服できない罪への傾向を持ったとされる。
第27話   Tシャツ元ネタ  うらぼんえ(ブッダ)  盂蘭盆会と書く。仏教行事。父母や祖霊を供養し、倒懸の苦を救う行事。  現在の「お盆」は古神道の先祖崇拝の儀式や神事と、この盂蘭盆会が習合したものである。  目連(モッガラーナ)の伝説を基にしたおり、  本編にもあるように、モッガラーナの母が餓鬼道に堕ちてしまい、  (餓鬼道とは他で説明する)  まったく何も口にできなくなった母を哀れに思ったモッガラーナが釈迦に実情を話すと、釈迦は  安居の最後の日にすべての比丘たちに食べ物を施せば、  親にもその一端が口に入るだろうと答えた。  モッガラーナはそのとおりにし、比丘たちは喜びで踊った。  そしてその喜びが餓鬼道に堕ちているものにも伝われ  母親の口にも入った。  また、別の話では釈迦がモッガラーナに亡者救済の秘法を教え、  それによって母親は救われ、歓喜の舞を踊りながら昇天したともされる。  前者を説いているのは盂蘭盆経であり、  後者は盂蘭盆経が出来上がったころに中国で成立したとされ、  盂蘭盆経は偽経であり、実は釈迦当時の教説には地獄などの概念は登場していない。  ただし民間伝承では盆踊りが母親の天へ昇る姿をあらわしているとされる。    Tシャツ元ネタ  るるど(イエス)  ピレネー山脈のふもとに存在するフランスの小さな町。  カトリック教会の巡礼地。  1858年に村の少女ベルナデッタにマッサビエルの洞窟のそばで聖母マリアが出現した。  当初は誰も彼女の証言を信じなかったが、  聖母マリアが彼女を「無原罪の御宿り」であると述べた、という  彼女の証言によって周囲の人々は信じるようになったとされる。  「無原罪の御宿り」とは無学な彼女が知るはずもない教会用語だったからだ。  ベルナデッタには聖母マリアが18回も出現したとされており、  また、聖母は「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」といったとされ、  近くに水は無いため川に行こうとしたベルナデッタに  聖母が洞窟の岩の下のほうへ行くように指差したとされる。  そこには泥水が少しわいてきており、次第にそれは清水となりのめるようになった。  これが奇跡の泉とされるルルドの泉のはじまりである。  ルルドの泉による治癒の奇跡に関しては  ベルナデッタは無関心であったとされ、  否定したり信じなかったという形跡も残されてはいないが、  報告された奇跡的なケースに関与していたわけでもなく、  彼女自身も持病があったがルルドの泉に行くことはなかった。  奇跡的治癒の報告に関しては、カトリック教会の調査により  「科学的・医学的に説明できない治癒」であるか判断されるが、  ルルドの泉に関しては上記のように記録された数例がある。  カトリック教会が奇跡的治癒をこうして認めることはまれであり、注目を浴びた一方で、  奇跡と認められた件数が少ないことなどから批判的検証も行われている。  ただしカトリック教会が奇跡的治癒と認めるには  かなり厳しい科学的・医学的、そして信仰心の調査が行われるため、  奇跡とされる件数が少なくなることは、  現代において致し方ないともされている。  精霊馬  きゅうりやナスを乗りもとして、動物に形作ること。  きゅうりは足の速い馬に見立て、あの世から早く帰ってこれるよう、  ナスは歩みの遅いウシに見立て、この世からあの世へ帰るのが少しでも遅くなるよう、  また、供物をウシに乗せて運べるようにという願いがこめられている。  修羅場  修羅道とは六道の一つ。(六道とは仏教において迷いのあるものが輪廻する世界で、6種類ある。)  修羅の住まう世界で、終始戦い、争う。  ただし地獄のように苦しみや怒りが絶えずあるところではなく、  苦しみは自らに帰結するところが大きい。  この修羅道の主が仏教の八部衆に属する阿修羅。修羅とも言う。  守護神。闘争的な性格である。  三面六臂(三つの顔に六つの腕)でよく描かれる。  日本では争いの耐えない状況を修羅道にたとえ、修羅場というようになった。  ちなみに国宝の阿修羅像は、緻密で美しい姿であることから、  最近は全国で展示が行われるように大変な人気を博している。  天部衆  バラモン教の神々が仏教に取り入れられ、守護神(護法善神)となったものがほとんど。  八部衆もその一部。  ダ・ヴィンチさんとラファエロさん  レオナルド・ダ・ヴィンチ。  ルネサンスの三大巨匠の一人。  ダ・ヴィンチコードで最近も話題になった天才芸術家。  絵画の特徴としてはスフマート技法と空気遠近法。  パースが取れるという本編の発言はこの空気遠近法から来ているものとされる。(パースとは遠近法)  また、膨大な数の素描やスケッチを描いたが、絵は制作されなかったり、  未完成のまま放置されたりといったことが多々あり、  依頼人に渡されなかったものもある。  ダ・ヴィンチコードでは彼の作品に隠された暗号が題材にされており、  またフィクションであるが、レオナルド・ダ・ヴィンチがシオン修道会のメンバーだったと秘密文書に記載されているとされた。  ただしこのシオン修道会は、その歴史の根拠とされる秘密文書が  最後の総長を自称していた人物の捏造したものであると判明し、  その伝統や秘密は偽りであると現在はされている。    ラファエロ・サンティ。  ルネサンスの三大巨匠の一人。  画家・建築家。総合芸術の天才。  女性的で優雅な様式を確立。  ダ・ヴィンチにも影響を受けたとされる。  ちなみに三大巨匠のうちもう一人のミケランジェロが今回登場していないのは、  ミケランジェロがもともとは彫刻家であることから、  マンガのアシスタントというネタにはそぐわないと作者が判断したものと考えられる。  ただしミケランジェロにもシスティーナ礼拝堂天井画(創世記の場面)や最後の審判(マタイ福音書)など、絵画の傑作が存在する。  ニルヴァーナ  涅槃。涅槃はさとりと同じ意味の言葉。  ニルヴァーナは吹き消すこと、吹き消したことを意味する言葉。  これにより煩悩の火を吹き消した状況を指す。  また、涅槃は如来の死そのものを指す。  今回はマンガが終わったことから、「吹き消す」という意味が強くあるのではないかと思われる。  梵天  天部の一つ。  古代インドの神ブラフマーを仏教に取り入れたもの。  ブラフマーは古代インドにおいて万物の根源とされたブラフマンを神格化したもの。  この神が仏教に取り入れられ、守護神となり梵天と称された。  釈迦が悟りを開いた際、それを広めるようすすめたのが、  梵天と帝釈天である。  帝釈天と一対の像として祀られることが多い。  帝釈天  天部の一つ。  インドラ神を仏教に取り入れたもの。  インドラ神は阿修羅とも戦闘した武勇の神であり、雷を操った。。  仏教では成道前の釈迦を助け、説法を聞いたことで、  梵天と並ぶ二大護法善神とされる。  お焚き上げ入稿  日本特有の民俗。  仏教伝来以前の日本における火を崇めるという考え方と、  のちの神道、仏教などとが結びつき、  お札やお守り、七夕の笹などを燃やす習慣が生まれました。  お焚き上げとは、思いがこめられたものを浄火によって天に還す行いです。  葬式のあとのお焚き上げは、  神仏を粗末に扱えないために生まれたオフだなどを社寺院の庭で焼く庭燎焚きと、  密教の護摩焚きが結びつき、故人の所持品も焼いて灰にし、  土に返すようになったのがはじまりとされます。  お焚き上げはもともとは祈祷ですが、  のちに厄払いとしても行われるようになりました。  諸行無常  仏教用語。  この世の現実存在は全て、常に姿も本質も流動変化するものであり、  一瞬といえども存在は同一性を保持することができないということ。  所業とは一切のつくられたもの。  モッガラーナ  目連。釈迦の内弟子。お盆の創始者とされている。  詳しくは「うらぼんえ」の項目を参考のこと。  餓鬼道  六道の一つ。  六道とは仏教において迷いのあるものが輪廻する世界で、6種類ある。  餓鬼は腹の膨れた姿の鬼で、  食べ物を口に入れると火になって燃えてしまい、  渇きと飢えに苦しめられる。  アナンダの気絶  アナンダはいつもブッダのそばにいたというのに、  連絡に行っていたために遅れ、涅槃の瞬間に立ち会うことが出来なかった。  その悲しみでアナンダは気絶し、  周りの人が水をかけ蘇生させようとした。  魂だけ戻るのがダメなら 体ごと復活したらいいじゃない  イエスキリストの復活。イエスは肉体ごと復活した。
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。(マルコによる福音書16章)
 とんだマリーアントワネット  「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃない」  ちなみに史実では別人の発言かもしれないらしいです。
第28話   Tシャツ元ネタ  ガリラヤ(イエス)  パレスチナの地名。  イエスが宣教をはじめた場所。  Tシャツ元ネタ  あらかん(ブッダ)  阿羅漢と書く。ブッダの尊称の一つであったが、  のちに、施し、尊敬をうけるにふさわしい聖者を指すようになった。  安息日  旧約聖書の創世記において、世界は一週間で作られたとされています。  1日目 原始の海の表面に混沌とした暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。  2日目 神は空(天)を作った。  3日目 神は大地を作り、海が生まれ、植物が出来た。  4日目 神は太陽と月と星を作った。  5日目 神は魚と鳥を作った。  6日目 神は獣と家畜と、神に似せた人を作った。  7日目 神は休んだ。  このことにより、7日目、つまり日曜日は安息日として労働が禁じられているのですが、  この決まりを絶対的なものとしていたのはイエスを敵視していた律法主義者たちであり、  イエスは、律法のために人がいるのではない、と、  かたくなに律法に従い続けることでふりまわされることになることを否定しています。  ブッダの実家  ブッダはシャーキャ族の王子であり、  出家するまではとても裕福な生活を送っていました。  ペトロとアンデレ  ペトロはイエスに従った使徒たちのリーダー。  使徒のなかでも代表としてイエスに問いかけたりする中心的人物。  もとは漁師だった。  アンデレはペトロの弟。  13  イエスを裏切った弟子のユダが最後の晩餐で13番目の席に着いた。  また、サタンは13番目の天使とされる。  13日の金曜日  映画。  このタイトルの由来は、イエスが処刑されたのが13日の金曜日だから、  という説があるが間違い(金曜日というのは正しいが日付は定めていない)。  また、イヴのアダム誘惑や、大洪水からのノアの脱出、バベルの塔崩壊なども、  13日の金曜日と言われているが、それも聖書に記述されてはいない。  ユダの席順により13が不幸の数字とされていたので、  それをイエスが処刑された金曜日とかけて、作られたタイトルではないかと考えられる。  イエスの父 大工の方  イエスは神の子。よって父とは神のこと。  大工の方、というのは、聖母マリアの夫ヨセフを指す。  ヨセフはイエスの養父と表現される。  この者は自分が何を言ってるのかわかってないだけで  イエスが磔刑にされるとき、強盗ふたりも一緒だった。  強盗のひとりはイエスを信仰し、死後の運命に神のあわれみを求めた。  まさに磔刑にされるという状況にもかかわらず、  イエスはこの強盗の願いに耳を傾け、あわれみをかけ、  また、自分を処刑しようとするものにも赦しを祈った。  「父よ。彼らをお許しください。   彼らは自分たちが何をしているのかわかっていないのです」  (ルカ23章34)  (情報提供 はなさん)     右の頬を〜  右頬を殴られたら左頬をも差し出しなさい 第29話   Tシャツ元ネタ  スッドーダナ(ブッダ)  ブッダの父親。浄飯王。  シャーキャ族の王。  Tシャツ元ネタ  ゲッセマネ(イエス)  最後の晩餐のあとにイエスと弟子たちが祈った場所。  ユダによってイエスが捕らえられた場所。  オリーブの木が植えられた庭園風の場所。  オリーブ山のふもと。  ロバより子ロバ  イエスはエルサレムに入場する際、  軍馬ではなく子ロバに乗っていたとされている。  ロバは戦闘用ではなく、イエスがロバに乗ったことは  イエスが平和の王であることの表れだった。  ちなみに預言者ゼカリヤによって、  「見よ。あなたの王があなたの所に来られる。   この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ロバに乗られる。   それも、子ロバに」(マタイ21:5)  と予言されている。  ロバに乗ったイエスがオリーブ山に入ったときには群集によって歓迎された。  ただし、群集はイエスが力によってローマ帝国を打ち滅ぼし  新たな国を作ってくれると期待して歓迎したのであり、  その期待が裏切られると、今度はイエスを磔にしてしまえと言い出します。  季節はずれにイチジク
次の日に一行がベタニヤから出かけた時、イエスは空腹になられた。そこで、遠くから葉の茂っているいちじくの木をごらんになって、何か見つかるのではないかと、近づかれた。ところが、その木のところに来てみると、葉ばかりで、何も見つからなかった。いちじくの季節でなかったからである。イエスはそれに対し、その木に言われた、「これからいつまでも、おまえから実を食べる者がないように!」。弟子たちはこれを聞いていた。
(マルコ11章12〜14)
 いちじくはイスラエルを象徴する植物の一つ。  イエスが唯一呪ったもの。  エルサレムでイエスが行った唯一の奇跡。  マタイによる福音書では呪われたいちじくは直ちに枯れた、とされているが、  マルコによる福音書では翌日に枯れていた、とされている。  これはロバで入城のあとのことで、すでにイエスは死を覚悟していた。  これは群集がイエスの処刑を望み、イスラエルの罪が満ちたことで、  裁きが決定的になったからである。  イエスはこのいちじくの件と、神殿で鞭を振るう(これだけで罪になる)を行い、  もはや言葉ではなく、行動で裁きを体現していた、とされる。    99人の正しい行いよりひとりの罪人の改悛  99匹の羊と一匹の迷える羊の喩えによるキリスト教の教え。
徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
すると、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
そこで、イエスは次のたとえを話された。
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
(ルカ15章1〜7)
 マタイによる福音書18章にもよく似た記述がある。  子供たちを追い出してはならない  「子供たちを来させなさい。   私のところに来るのを妨げてはならない。   天の国はこのような者達のものである」(マタイ 第19章14)  人々が自分の子供(『ルカ』には「乳飲み子」と書いてある)を連れてきて、  イエスに触れてもらおうとした。  弟子達がこの光景を見て叱ると、  イエスは「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、  決してそこへ入ることはできない」と弟子達にたしなめた。  りんご、両足、エデンの園、失楽園、原罪  創世記1〜3章。  アダムとイヴはエデンの園を管理していた。  エデンの園には食用の果実の樹と、  中央には生命の樹と知識の樹が植えられていた。  アダムはエデンの園になるすべての木の実を食べることを許されていたが、  唯一、善悪の知識の木の実だけは食べることを禁じられていた。  しかし蛇がイヴをそそのかし、知識の木の実を食べさせ、  アダムもそれに従った。  食べたとたん二人は裸であることが恥ずかしくなり  いちじくの葉を身にまとった。  神の怒りに触れた二人はエデンの園から追い出され、  蛇は地に這うことを定められた。(つまり足を失った)  この話を失楽園と呼ぶ。  神がふたりを追い出したのは、  実を食べたからではなく言葉に従わなかったからだとされる。  ただし、知恵の樹の実だけでなく、  生命の樹の実まで食べ、ふたりが不死にならないように、  エデンの園から追い出したとも言われている。  このアダムとイヴが最初に犯した罪を原罪と呼ぶ。  この罪によって、人は本質を損ね、  神の救いなしには克服できない罪への傾向を持ったとされる。  ブッダは既婚者  16際で母方の従妹のヤショーダラーと結婚。  子供ラーフラもいる。  マンゴー畑  以前から釈迦に帰依していた遊女アームラパーリー(古代インドでは遊女は位が高い)は、  釈迦が自らのマンゴー園にいることを知ると喜び、  自宅での食事に招待した。  釈迦はその後貴族からも招待を受けたが、先約だったアームラパーリーを優先し、  説法をした。  説法に感動したアームラパーリーは自らのマンゴー園を、  僧たちの集い、サンガのために寄進することを申し出た。  シャカ族の名前のセンス  ちなみにブッダの名前ゴータマ・シッダールタは、  ゴータマが「最上の牛」  シッダールタが「目的を達成したもの」  人はジャムのためにパンを焼くのではない、パンのためにジャムを塗るのだ  安息日に働く弟子たちを咎められたイエスは、  「安息日は人のためにある。人が安息日のためにあるのではない」  (マルコによる福音書第2章27節)  と答えている。 inserted by FC2 system