BACK 第23話 第24話 第25話 第26話 第27話 第28話 第29話 4巻 元ネタ・宗教用語
第23話 セーター元ネタ 最上の牛(ブッダ) ブッダはシャカ族の王子として生まれ、 ゴータマ・シッダールタと名づけられた。 このゴータマ(ガウタマ)とは「最上の牛」という意味。 ちなみにシッダールタは「目的を達したもの」 バレンタインの由来 恋人を故郷に残した兵士は、士気が下がるという理由で ローマ帝国皇帝によって、兵士の婚姻が禁止されていた。 キリスト教司祭のヴァレンティヌスは、そんな中 秘密に兵士を結婚させていた。 ヴァレンティヌスはそれが発覚し処刑されたが、 皮肉にも処刑に選ばれた日は、 家庭と結婚の神(女神)ユノの祝日2月14日で、 翌日はルペルカリア祭の始まる日だった。 当時、この祭りの前日(つまり14日)に女たちが桶に入れた紙を、 翌日に男がひき、ひかれた札の名の女は その祭りの間ひいた男と一緒にいなければならなかった。 (そしてそのまま多くが結婚した) こうした日にヴァレンティヌスは処刑され、 ルペルカリア祭の生贄とされたことにより この日は恋人たちの日として祭日になった。 モテるアナンダ アナンダは美男子で、女難をよく被っていた。 ブッダが在世のうちに悟ることが出来なかったのは 女難が多かったためだとも言われている。 また、アナンダはブッダに女性の出家を認めるように懇願し、 それを受け入れてもらっている。 メドゥーサ ギリシャ神話の怪物。 髪が毒蛇。 見るものを石にする。 アナンダの献身 出家後、ブッダが死ぬまで25年間常にそばにおり、 身の回りの世話も行っていた。 そして教説をすべて記憶していたため、 経典を作る際にはアナンダの記憶に基づいて ブッダの教えを口述したとされる。 アナンダの背中の手術 アナンダの背中にあるとき命にかかわる腫れ物ができた。 アナンダがあまりに痛がるのでブッダは医者になんとか助けて欲しいと頼んだ。 しかし当時麻酔があるわけでもなく、 医者は治療方法がなく困っていた。 そこに真剣にブッダの説法を聞いているアナンダが見かけられた。 今しかない、と思った医者はアナンダに近づき手術をはじめたが、 手術が終わり、ブッダが説法をやめるまでアナンダが気づくことは無かった。 年の数の豆 イエスは紀元前4年生まれなので、2013粒? 恋の矢 キューピッド キューピッドの矢、とは、ローマ神話の愛の神クピードーの持つ矢のこと。 クピードーはギリシア神話のエロースと同一視されている。 サタン「世界をやろう」 洗礼を受けたあと、40日間イエスは荒野にとどまった。 そのときサタンに誘惑をされているが、 その際に高い山につれてこられ、全世界を見渡し、 「この国々のすべての権力と繁栄をやろう」と誘惑されている。 イエスは権力は要らない、ただ神に仕えるのみだと断っている。 飢餓状態 ブッダは6年苦行を続けたが、苦行のみでは悟りをえられないと理解し、 苦行により生死の境にあった体を清めるために、なんとか川にたどりつき沐浴を行った。 スジャータはそのとき沐浴をしていたブッダに乳がゆを供養し命を救ったという娘。 その後ブッタは心身を回復させ、悟りをえた。 1巻では、空腹だったためおいしく感じ、乳粥を一気に食べたが、 実はあまり好きではないとブッダは言っている。 エロスとアガペー エロスは恋愛感情。 アガペーは神の人間に対する「愛」。無償の愛。 ヤショーダラー 16歳のときブッダが結婚した女性。 子供にラーフラがいる。 第24話 Tシャツ元ネタ 山派(イエス) イエスは祈りのためによく山に登ったのでそのことか? 詳細募集中。 Tシャツ元ネタ ゴータマ(ブッダ) ブッダはシャカ族の王子として生まれ、 ゴータマ・シッダールタと名づけられた。 Tシャツ元ネタ はじめの七歩(ブッダ) 天上天下唯我独尊 ブッダが生まれたとき、七歩歩き、八方を見渡したがどちらにも自分より尊い者はなく、 天と地を指差して「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説。 しかしこれはもともとは釈迦以前の第一仏・毘婆尸仏が誕生の際に言ったとされる言葉で、 釈迦が生まれた際、周りの人がその言葉で賛美したことが由来となって 生まれたとたん釈迦が言ったのだという説になった。 自己中心な意味ではないが、解釈にはさまざまな説がある。 シャカ族 ブッダはシャカ族の王子。 毒にやられた象 デーヴァダッタが象に毒針をさし、ブッダへとけしかけた。 凶暴になった象がブッダを踏むかと思われたが、 象はブッダの元でおとなしくなったとされる。 エリエリラマサバクタニ ヘブライ語。「神よ、なにゆえに我を見捨てたもうや」 神とはつまりイエスの父。 ハシビロコウ 鳥。一時期動かない鳥として話題に。 第25話 Tシャツ元ネタ 粘土の雀(イエス) イエスが五歳のころ、安息日に粘土をこね、12羽の雀を作った。 安息日にしてはならないことだったため、ユダヤ人がヨセフ(イエスの養父)に忠告すると、 ヨセフはイエスに大声でしかりつけた。 イエスはそれを聞いて手を打ち、雀たちに「行け」と告げると、 粘土だったはずのその雀は空へと飛び立っていった。 Tシャツ元ネタ 金の鹿(ブッダ) ブッダが自分の前世であると言った「金色の鹿」。 この鹿はベナレスという町に住むマハーダナカという男がおぼれているのを助けた。 しかしこのマハーダナカは鹿と約束をしていたのにもかかわらず、 褒美欲しさにベナレスの王に、金色の鹿の場所を教えてしまった。 王がその場所にやってくると、鹿は自ら王の前に行き、 マハーダナカとの約束のことを話した。 王はマハーダナカの恩知らずな振る舞いに怒り、彼を殺そうとしたが、 鹿は命の大切さを説き、それをやめさせ、 彼に(王がお触れを出したとおりに)ほうびを与えさせた。 鹿は王とともに都へ行くと、そこで命の大切さを説いた。 服を着ない→着るのが自然 ブッダのころの修行者は裸形で徹底した苦行を行うのが一般だった。 これは霊魂は肉体によって濁り、さらに服によっても濁ると考えられていたからである。 ちなみにブッダはこうした苦行でも欲望が完全には失われないことに気づき、 苦行に見切りをつけることになる。 バチカンの近衛兵 バチカンとはローマ教皇庁によって統治される、 カトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地。 近衛兵の制服はミケランジェロのデザイン。 近衛兵はスイス人カトリック信徒から選抜され、 大変名誉なこととされる。 制服はカラーでみるとさらに派手ですので、検索してみてください。 カーシー 釈迦は王子だったころ、香、服、下着はすべてカーシー産以外使わなかった。 ラファエル 癒しの天使。 ラファエルとはヘブライ語で「神は癒される」の意味。 ユダヤ教では癒しを司る天使とされている。 キリスト教はユダヤ教から多くの思想を受け継いでいるため、 ラファエルの記述がある「トビト記」もキリスト教とユダヤ教がわかれるとき、受け継いだが、 のちにユダヤ教徒はそれを正典からはずしており、 キリスト教徒も旧約聖書正典に受け入れてはいたが、 ルターによってのちのちはずされ、 カトリック教会と正教会にみが今もトビト記を正典としている。 新約聖書ではガブリエルとミカエルの名前は現れるが、ラファエルは現れない。 (ヨハネによる福音書5章に癒しを行う天使が現れ、 それがラファエルと結び付けられて考えられている。) こうした経緯により、ラファエルにささげられた教会や修道院はとても少ない。 去れ!マーラよ! マーラは釈迦が悟りを開くときに瞑想を邪魔した魔神。 マーラはさまざまな欲望で釈迦を誘惑しようとしたが、 しかし釈迦は静かに瞑想を続け、悟りを開いた。 ブッダの歯磨き効果音「シャカシャカ」 釈迦にかけている…かも。(情報提供:なしふさん) 第26話 Tシャツ元ネタ 根比〜べ(イエス) コンクラーベと根比べの駄洒落。 コンクラーベはカトリック教会でのローマ教皇選挙のこと。 また、立候補や選挙運動などが一切禁止で、缶詰状態で選挙をすることから、 「コンクラーベは根比べ」と駄洒落を言うのはけっこう一般的。 Tシャツ元ネタ (歯の絵)×40(ブッダ) 四十歯相。通常の人は32本しかない歯が、40本あり、しかもどれもが白く美しい歯であること。 仏の体に備わっているという特徴(三十二相八十種好という。32個の見てわかる特徴と、80個の微細な特徴)のうちの一つ。 三十二相の22番目。 「外道」は仏教用語で仏教徒以外を指す言葉 その通りです。 天の国が来るとき イエスはヨハネの「悔い改めよ、天の国は近づいた」という宣言から宣教を始めたといわれています。 終末の予言から人々を助けるためにイエスは宣教を始めたんだそうです。
「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言った」。
(マタイ3章)
24:29「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。24:30そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。24:31人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」 (マタイ24章) |
小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。そして、わたしは七人の天使が神の御前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた。 また、別の天使が来て、手に金の香炉を持って祭壇のそばに立つと、この天使に多くの香が渡された。すべての聖なる者たちの祈りに添えて、玉座の前にある金の祭壇に献げるためである。香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った。それから、天使が香炉を取り、それに祭壇の火を満たして地上へ投げつけると、雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こった。 さて、七つのラッパを持っている七人の天使たちが、ラッパを吹く用意をした。 第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった。 第二の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、 また、被造物で海に住む生き物の三分の一は死に、船という船の三分の一が壊された。 第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。 第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった。また、見ていると、一羽の鷲が空高く飛びながら、大声でこう言うのが聞こえた。「不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者たち。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに。」 (ヨハネの黙示録) |
更に神は言われた。「貴方達並びに貴方達と共に居る全ての生き物と、代々とこしえに私が立てる契約のしるしはこれである。即ち、私は雲の中に私の虹を置く。これは私と大地の間に立てた契約のしるしとなる。私が地の上に雲を湧き上がらせ、雲の中に虹が現れると、私は、私と貴方達並びに全ての生き物、全て肉なるものとの間に立てた契約に心を心を留める。水が洪水となって、肉なるものを全て滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、私はそれを見て、神と地上の全ての生き物、全て肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」そして神はノアに言われた「これが私と地上の全て肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(創世記9章) |
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。(マルコによる福音書16章) |
次の日に一行がベタニヤから出かけた時、イエスは空腹になられた。そこで、遠くから葉の茂っているいちじくの木をごらんになって、何か見つかるのではないかと、近づかれた。ところが、その木のところに来てみると、葉ばかりで、何も見つからなかった。いちじくの季節でなかったからである。イエスはそれに対し、その木に言われた、「これからいつまでも、おまえから実を食べる者がないように!」。弟子たちはこれを聞いていた。 (マルコ11章12〜14) |
徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 すると、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 そこで、イエスは次のたとえを話された。 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 (ルカ15章1〜7) |