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3巻 元ネタ・宗教用語

第16話   右の窓から温風を流すなら〜  右頬を殴られたら左頬をも差し出しなさい  ペトロ  イエスに従った使徒たちのリーダー。  使徒のなかでも代表としてイエスに問いかけたりする中心的人物。  もとは漁師だった。  ガリラヤ湖の男  イエスの奇跡の一つ。  マルコ6章  弟子たちが風により船をこぎ悩んでいると  陸地にいたイエスが湖の上を歩き弟子たちのところに行った。  弟子たちは驚き幽霊だと思い大声で叫んだ。  イエスは、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言った。  そしてイエスが船に乗り込むと風はやんだが、そのことにまた弟子たちは驚いた。 (これは水上歩行以前にあった魚二匹とパン5つで5000人を満腹にした奇跡を  弟子たちが理解していなかったために、このようにひどく驚いた、という意味。) (ちなみにこののちペトロが水の上を歩こうとしたが  途中までは歩けたものの、疑念を抱いてしまったため沈み始めた、と続く)  ペトロの若さ  ブッダが生きていたのは、一説に紀元前463年-前365年、  もしくは前560年-前480年などと言われており、  イエスが紀元前4年に生まれたことを考えれば、  ペトロやイエスに比べブッダはかなり以前に生まれている。  そこから「若さ」という発言が出たのかもしれないし、  ブッダは80歳で入滅していることからも、  約32歳で磔にされたイエスのことを考えれば、若いと言える。  (ただしこの場合、ペトロは生年は不明だが67年に処刑されているので、   若いうちに死んだわけではなく、「若さ」にはつながらない。   生きていた時代で考えての「若さ」ととらえたほうが自然。)  ピラトの裁判  ピラトとは、  ユダヤとサマリヤを収めていたピリポが暴君であったことを直訴されたローマ皇帝が、  総督を派遣したが、その5代目。  当時ユダヤ人たちは、神の子だというイエスが神を冒涜したといい、イエスを死刑にしようとした。  しかし、このころのローマの法律では、ユダヤ人が死刑の執行をすることは許されておらず、  ローマの裁判で決するしかなかった。  そのため、ピラトのところまでイエスをつれていき、  死刑にしてもらおうと考えた。  しかし一方で、神への冒涜という罪では、ユダヤ内の宗教問題であり、ピラトは興味を示さない。  なので「ユダヤ人の王」としてイエスをつれていき  政治犯として円滑に死刑にしてもらおうと考えた。  この裁判を描いた名画「ピラトの前のキリスト」がある。  汝の敵を愛せよ  マタイの福音書5章44節。  天の国は彼らのものなのに  「子供たちを来させなさい。   私のところに来るのを妨げてはならない。   天の国はこのような者達のものである」(マタイ 第19章14)  人々が自分の子供(『ルカ』には「乳飲み子」と書いてある)を連れてきて、イエスに触れてもらおうとした。  弟子達がこの光景を見て叱ると、イエスは「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、  決してそこへ入ることはできない」と弟子達にたしなめた。  (情報提供:二階建ての図書館さん)  7つのラッパ  ヨハネの黙示録8章より。  ヨハネの黙示録では、著者が自らをヨハネと名乗り、終末についてみた幻を記している。  小羊が解く7つの封印のうち、  最後のものが解かれるとき七のラッパ吹き(天使)が現れるとされる。  第一のラッパ。地の3分の1を焼き払う。  第二のラッパ。海の3分の1を減らす。  第三のラッパ。川の3分の1を毒にする。  第四のラッパ。昼の時間を3分の1に。  第五のラッパ。奈落の王アバドンが現れ人を苦しめさせる。  第六のラッパ。4人の御遣いを解放して人間の3分の1を殺させる。  第七のラッパ。神の支配をつげ、キリスト教徒でない人間を殺すために雷、大地震、大粒のひょうを降らす。  ちなみに黙示録の解釈にはさまざまある。(預言書、文学etc)  出家前の座禅  手塚版ブッダの7章『ラーフラ』〜8章『五人の行者』に  「四門出遊を経て出家の意思を固めたシッダルタが、ヤショダラに懐妊を告げれ、  それでも出家する気は変わらないと宮殿の屋上(?)で座禅を組み続けます。  当然父王やヤショダラ妃は思いとどまらせようと躍起になる」  というシーンがあるそうです。(情報提供:もちもちさん)  仏典に同じような記述があるかは不明ですので、ご存知の方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

第17話   神殿の商売人  マルコによる福音書より。  イエスが怒ったことで、群集は驚き、  祭司長や律法学者はイエスをどう滅ぼそうか考え始めた。
11:15彼らはエルサレムにやって来た。そしてイエスは神殿に入り,神殿で売り買いしていた者たちを追い出し始め,両替人たちの台とハトを売る者たちの腰掛けをひっくり返した。11:16だれにも神殿を通って器物を運ぶことを許さなかった。11:17彼は教えて,彼らに言った,「『わたしの家はあらゆる民族のための祈りの家と呼ばれるだろう』と書かれていないだろうか。それなのにあなた方は,それを強盗たちの巣にしてしまった!」(マルコによる福音書第11章)
 神殿は神が住む場所であり、  そこにふさわしくないものは力づくでもおいださなければならない、というイエスのメッセージだそうです。  (バーサク状態)  ゲーム用語。ファイナルファンタジーの魔法「バーサク」に由来し、  理性を失って攻撃、もしくは怒ることを意味する。  宗教とは関係がない。  ちなみにFF「バーサク」の元ネタは狂戦士とも訳されるBerserker(バーサーカーorベルセルク)だそうです。  berserkerとは北欧神話の伝承に現れる軍神オーディオンの神通力をうけた戦士です。(情報提供:くまさん & 聖君☆遷都君さん)  大工の子  イエスの母マリアの婚約者ヨセフは大工だった。(イエスの養父)  大工道具を持ったヨセフの像もある。  イエスも大工として働いていたことがある。
6:1そこから出発して,彼は自分の故郷に入った。弟子たちも彼に従った。6:2安息日になると,彼は会堂で教え始めた。耳を傾けた大勢の人は驚いてこう言った。「この人はこうした事柄をどこから得たのだろう」。また,「この人に与えられた知恵はいったい何だ。このような強力な業が彼の手によって生じるのはどうしたことだ。6:3この人は大工ではないか。マリアの息子で,ヤコブ,ヨセ,ユダ,シモンの兄弟ではないか。その姉妹たちは我々と共にここにいるではないか」。人々は彼のために不快になった。(マルコによる福音書6章)
 バベられる  バベルの塔。  創世記11:1−9
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。 石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。 そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。 これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、 互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」 主は彼らをそこから全地に散らされたので、 彼らはこの町の建設をやめた。 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。 主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、 また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
 祇園精舎  サンスクリット。釈迦が説法を行ったとされる寺院。  天竺精舎の一つ。  インドで牛ブーム  インドでは牛は最高神お一人シヴァの乗り物とされている。  また、インダス文明では労働力があり乳も取れる牛は神聖な動物とされ  ヒンドゥー教ではぶっだと同じくヴィシュヌ神の化身とされるクリシュナが牛飼いであったことも神聖とされる要素だそうです。(情報提供:聖君☆遷都君さん)  ラーフラのトイレ寝  釈迦の子であることから特別扱いとならないよう、トイレで寝ていたという話や、  ラーフラが過ちを犯したときに釈迦がトイレで眠らせたという話など、諸説ある。  
(ラーフラがまだ戒をうけていないとき、戒をうけたものと普通の信者で別々に寝るよう釈迦が決めたため、ラーフラは釈迦と別々で寝なければならず、また、世話をしてくれる比丘もいないためどうしたらいいかわからず、トイレで寝たという話がある。翌朝事情を聞いた釈迦は戒をうけていないものでも勝手がわかるまで比丘の部屋にいてもよく、三日目までに部屋を探せるよう比丘に世話をしてもらってもよいと規則を変えた。)
 障害(ラーフラ)  釈迦は出家を考えていたとき子が生まれたことを聞き、  「障害になるものが生まれた」といった。  使用人は「障害」という言葉しか聞こえなかったので、それを王につげ、  それをきいた王は「障害」(ラーフラ)と子に名づけた。  ベツレヘムと馬小屋  ベツレヘムの馬小屋でイエスは生まれた。  (宿が混んでいたため泊まれなかった)  しかし馬はその場におらず、牛とロバがいた。  イエスは飼い葉桶に寝かされた。  神の炎 大天使ウリエル 立寄所  ウリエルとは神の炎、もしくは神の光という意味。  「神の御前に立つ四人の天使」の一人。  ペトロの黙示録では、懺悔の天使として、  神を冒とくした者を永久の業火で焼き、  不敬者を舌で吊り上げ火あぶりにし、  地獄の罪人を苦しめるとされる。  ただし、カトリック教会では認可されていない。  また、ローマ教会は745年に加熱し天使信仰を抑える目的で、  聖書正典に書かれていない天使を堕天使とし、  その中にウリエルも含まれた。(ペトロの黙示録は外伝である)  のちに聖人に復権するがそれは天使としてではなく人としてである。  (ちなみに堕天使の烙印をおされなかったのはミカエル、ガブリエル、ラファエルのみ。)

第18話   神通力  仏教用語。仏菩薩の衆生を救う無碍自在なはたらきのこと。  アビンニャー。  ファンタグレープ  ぶどう酒はイエスの血を表しているとされている。    千手観音  菩薩。ちなみに菩薩とは如来になろうとする修行者。  一方で釈迦は如来である。    ベジタリアン  釈迦在世のころの戒律では肉食を禁じていません。  そののちも「自分のために殺された」ような不浄の肉でなければ食べられるとするような、  一切の肉食を禁じているわけではない戒律がある程度です。  釈迦自身が豚肉にあたって亡くなったという説もある程ですから、  ベジタリアンであったとは断定できません。  釈迦自身のことはともかく、  肉食を禁じることに賛成はしていなかったようです。  また逆にイエスがベジタリアンであったという説もあります。  破壊天使 ウリエル  ウリエルとは神の炎、もしくは神の光という意味。  「神の御前に立つ四人の天使」の一人。  ペトロの黙示録では、懺悔の天使として、  神を冒とくした者を永久の業火で焼き、  不敬者を舌で吊り上げ火あぶりにし、  地獄の罪人を苦しめるとされる。  ただし、カトリック教会では認可されていない。  また、ローマ教会は745年に加熱し天使信仰を抑える目的で、  聖書正典に書かれていない天使を堕天使とし、  その中にウリエルも含まれた。(ペトロの黙示録は外伝である)  のちに聖人に復権するがそれは天使としてではなく人としてである。。  (ちなみに堕天使の烙印をおされなかったのはミカエル、ガブリエル、ラファエルのみ。)    また、破壊天使という名称はゲームなどではよく使われているが、  正式にそう呼ばれているかは確認できていない。  裁きの天使。  わさびは実を結ばぬよう
マタイによる福音書21章18節カ〜19節

朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。 そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、 そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当たらなかった。 そこでその木にむかって、 「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」 と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。

マルコによる福音書11章12節〜14節

翌日、彼らがベタニヤから出かけてきたとき、イエスは空腹をおぼえられた。 そして、葉の茂ったいちじくの木を遠くからごらんになって、その木に 何かありはしないかと近寄られたが、葉のほかには何も見当たらなかった。 いちじくの季節でなかったからである。 そこで、イエスはその木にむかって、 「今から後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」 と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。
20節
朝はやく道をとおっていると、彼らは先のいちじくが 根元から枯れているのを見た。

(情報提供:ヘルタースケルターさん)
 大天使四人  大天使は中世初期のころまでは天使の最高階級とされていたが、  偽ディオニシウスの思想によれば、下から二番目の階級。  神と人を結ぶ連絡係で、地獄との戦いでは天国軍の任務に就く。  二枚の羽に、槍を持っているか、助祭のような姿。  神の御前の天使は大天使と解釈されている。  キリスト教においては、ローマカトリック教会が、  大天使ミカエル、ガブリエル、ラファエルを聖人にまで高め、  また、ミカエルは聖書に名前が出てくるため卓越した存在で、  ダニエル書では天使の長とされ、黙示録では天使の軍を率いる。  ウリエルも含めた4人が四大天使としてキリスト教でも扱われてはいるが、  ウリエルのみはカトリック教会では認められていない。  また、一度は堕天使とまでされた。  (のちに聖人に復権するがそれは天使としてではなく人としてである。   ほかの3人は天使としての聖人とされている。)  (以下当サイトのブログより転載)  四大天使のキリスト教における扱い  新約聖書に出てきており、どの教会も認めているのが  ミカエルとガブリエル(ただしガブリエルはその名が明記されている わけではなく、伝承などによる)  ラファエルはカトリック教会と正教会のみが正典とみとめているトビト記に出てくる  ウリエルは正典に出てこないので一時はローマ教会によって堕天使とされたこともある。  今ではウリエルは聖人に復権しているが、  他の三人が天使としての聖人であるのにかかわらず、  ウリエルは人としての聖人である。  癒しの天使 ラファエル  ラファエルとはヘブライ語で「神は癒される」の意味。  ユダヤ教では癒しを司る天使とされている。  キリスト教はユダヤ教から多くの思想を受け継いでいるため、  ラファエルの記述がある「トビト記」もキリスト教とユダヤ教がわかれるとき、受け継いだが、  のちにユダヤ教徒はそれを正典からはずしており、  キリスト教徒も旧約聖書正典に受け入れてはいたが、  ルターによってのちのちはずされ、  カトリック教会と正教会にみが今もトビト記を正典としている。  新約聖書ではガブリエルとミカエルの名前は現れるが、ラファエルは現れない。  (ヨハネによる福音書5章に癒しを行う天使が現れ、  それがラファエルと結び付けられて考えられている。)  こうした経緯により、ラファエルにささげられた教会や修道院はとても少ない。  堕天  天使が、高慢、嫉妬、自由意志などの理由で、神に反逆し追放されること。  ちなみに堕天使は悪魔ではない。  今回のネタでは、自由意志による堕天だと思われる。  自由意志による堕天とは、  神がもともと天使をつくったのは、自分自身を尊重させるためであることから、  自由な意思を持つ天使は追放されるというものである。  (ちなみに神は自由な意思さえも彼らのなかに作り出しおり、   そこから自発的に自らを尊重させようとした、らしい。)  今回はイエスを尊重せず自分のために嘘をつこうとしたことが  自由意志ということになるのかもしれない。(ただの推測です)

第19話   メサイア  ヘンデルによって作曲された。  第二部の後半には「ハレルヤコーラス」があり、  作中ではそれがネタにされている。(メサイアとしてもこれが一番有名な部分)  聖書から歌詞をとり、イエスの生涯を題材としている。  (万里の河)  チャゲアスのヒット曲。  宗教とはたぶん関係がない。  鹿  釈迦と鹿。  悟りを開いた釈迦は人には難しすぎて  理解できないのではないかと思っていました。  それを梵天が説得し、教えをひろめるよう進めたとされています。  釈迦がはじめて説法をしたという聖地サールナート。  このはじめての説法の相手が森にいた5頭の鹿だったとされています。  (また、別では5人の修行者と、鹿たち、とも言われています)  この鹿は釈迦と以前に苦行をともにし、  釈迦が苦行を捨てたことをとがめていましたが  釈迦の神々しさにひれふし弟子になったとされています。  ミカエル  直訳では「神に似たるものは誰か」。  守護者というイメージがつよく、  また、ジャンヌダルクに神の啓示を与えたのもミカエルであるとされている。  ヨハネの黙示録では天使を率いて赤い竜(サタン)と戦う場面が描かれているが、  しかし同じ黙示録に描かれた世界の終末における、  7つのラッパを彼が吹くとはされていない。  キリスト教においては、ローマカトリック教会が、  大天使ミカエル、ガブリエル、ラファエルを聖人にまで高め、  また、ミカエルは聖書に名前が出てくるため卓越した存在で、  ダニエル書では天使の長とされ、黙示録では天使の軍を率いる。  ラファエルがカトリック教会と正教会のみが正典とみとめているトビト記に出てくるだけであり、  また、ウリエルは正典に出てこない。  ガブリエルとミカエルは新約聖書に出てきており、どの教会も認めているが、  ガブリエルの場合、それは本文に名前が出てきたわけではなく、  ただ神のことばを伝える天使はガブリエルであると考えられていたため、そう認識されているだけである。  つまり聖書に名前が明記されているのはミカエルのみであり、  それがミカエルを特別な天使であると考えさせ、  天使長、天使の軍を率いるものとされた。  ガブリエル  「神の人」あるいは「神は力強い」という意味。  神のことばを伝える天使と考えられている。  しばしばミカエルと混同される。  聖書本文に名前はでないが、  伝統的に神の言葉をつげるのはガブリエルであるとされていたため、  ヨハネの黙示録で神のことばを伝えるのもガブリエルである。  また、マリアにイエスの誕生を伝えたのもガブリエルであると伝承されている。  西方教会では優美で女性的な青年として描かれているが、そうでない地方もある。  磔刑の前夜  マルコによる福音書。
さて、一同はゲッセマネという所にきた。そしてイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」。 そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここで待っていて、目をさましていなさい」。 そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、 「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。 それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが肉体は弱いのである」。 また離れて行って同じ言葉で祈られた。 またきてごらんになると、彼らはまだ眠っていた。その目が重くなっていたのである。そして、彼らはどうお答してよいか、わからなかった。 三度目にきて言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。もうそれでよかろう。時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。 立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。 (マルコによる福音書14章)
 20億人  キリスト教徒の数は20億人いるといわれている。  天使の輪  神や天使のオーラはあまりにも強く、  人には輪や翼、後光、羽衣などになって見える。

第20話   昔のオリンピック  古代ギリシアのオリンピアの祭典。  ギリシアでおこなわれる四大競技大祭のうちのひとつで、  ゼウスにささげられるものであったため、もっとも盛大に行われた。  死人が出るといっても、祭りのため殺し合いはかたく禁じられており、  闘技で相手を殺してしまえば、かってもオリーブの冠は贈られない。(中期のころの場合のみ。他は未確認。)  ひどい名前  釈迦は出家を考えていたとき子が生まれたことを聞き、「障害になるものが生まれた」といった。  使用人は「障害」という言葉しか聞こえなかったので、それを王につげ、  「障害」(ラーフラ)と子に名づけた。  ペトロのスカウト
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペトロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 (マタイによる福音書4章)
 象を投げる  詳細情報求めています。  釈迦が象をなげたり象と相撲をとる姿は絵にされています。  また、投げられた象を出家前の釈迦が受け止め、怪我をさせなかったという話もあります。  銀の盆にヨハネの首  サロメ(ヘロディアの娘)。  おじのヘロデ・アンティパスに舞踏の褒美がなにがいいかとわれ、  母ヘロディアの命により洗礼者ヨハネの斬首を求めた。  ヘロディアはのちにヘロデ・アンティパスの妻となる。  ちなみに「銀の」という表記はマルコによる福音書・マタイによる福音書では確認できていない。  追記:銀の盆はオスカーワイルドの戯曲からではないかという情報をいただきました。(情報提供:カンタレラさん & まるさん)  ラーフラの「全財産ほしい」  釈迦が出家して6年後、城に帰ってきたとき、ラーフラは母に  「私はあなたの息子です。私は王になろうと思います。   どうぞ宝をおあたえください。遺産をください、遺産をください」というようにいわれ、そのとおりにした。  それをみた釈迦はラーフラを出家させたとされている。    ゴルゴタ  ゴルゴタの丘  イエスが磔刑された場所。  イエスは網くぐりが得意  ヨハネによる福音書21章。  ペトロや他の弟子たちがティベリアス湖畔で魚をとろうと深夜に量に出た。  しかしなにもとれず、夜が明けたころに岸に誰かが立っているのが見え、  その人物が食べ物はとれたかとたずねてきた。  彼らがとれなかったことを伝えると、  「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」といわれ、そのとおりになり、  もはや網をもちあげられないほどの魚がとれていた。  彼らはその人物がイエスであると気づいた。  マーラにシカト  マーラは釈迦が悟りを開くときに瞑想を邪魔した魔神。  マーラはさまざまな欲望で釈迦を誘惑しようとしたが、  しかし釈迦は静かに瞑想を続け、悟りを開いた。

第21話   ゴッドブレス
21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
 エリ、エリ、レマ、サバクタニ  ヘブライ語。「神よ、なにゆえに我を見捨てたもうや」  ファリサイ派  古代イスラエルの第二神殿時代後期のユダヤ教内グループ。  福音書においては、イエスの揚げ足をとろうとし、  殺意を抱くものとして描かれている。  律法中心主義者。律法が絶対的なものだと考えている。  たとえば『マタイ』第12章1~2では  「そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。   弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。   ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに  『御覧なさい。あなたの弟子は、安息日にしてはならないことをしている』  と言った」  と描かれており、律法で安息日は働いてはならない、と決まっているのだから、  どのような理由があろうともその日に働くことを許しませんでした。  しかしイエスは律法のために人がいるのではなく、  人のために律法があるのだから、  律法にふりまわされているのはおかしい、と反論します。  ところがマンガでは大掃除をしたくないがために、  安息日を理由にして動くのをいやがりました。  前述したイエスの考え方によれば、そんなことは理由にならないはずで、  むしろそれはファリサイ派の考え方じゃないの?   というのがブッダのツッコミの概要です。  (情報提供:二階建ての図書館さん)  新約聖書ZZ、A(Aが上下逆になったもの)バイブル  機動戦士ガンダムZZ、A(Aが上下逆になったもの)ガンダムから。  「ヨシュアいきまーす!」はガンダムの主人公アムロの「アムロ、行きまーす!」より。(情報提供:Y.Kさん(お名前を出して良いのかわからなかったのでイニシャルのみ表示いたします))  三位一体  「父なる神」と「ロゴスである子なるイエス・キリスト」と「聖霊」の3つが、  すべて尊さが同じで、神は固有の三つの位格でありながら、  実体は同一であるという意味。  バチカン  ローマ教皇庁によって統治される、  カトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地。  ノアの箱舟
ヤハウェ・エロヒム[1]は地上に増えた人々やネフィリムが悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神に従う無垢な人」であったノア(当時600歳)に天使アルスヤラルユル(ウリエル)を通じて告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。ノアとその家族8人は一所懸命働いた。その間、ノアは伝道して、大洪水が来ることを前もって人々に知らせたが、耳を傾ける者はいなかった。 箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。 40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。 ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす生け贄を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。その契約の証として、空に虹をかけたという。 (創世記)
 サムソンとデリラ  初出は第六話。  旧約聖書の士師記より。ヘブライの民のヒーロー(士師)12人の物語を描いたのが士師記。  サムソンとは凶暴で純情な怪力の持ち主であり、  デリラとは異教徒ペリシテ人に買収されサムソンの弱点を聞き出した美女。  デリラはサムソンを骨抜きにし、  ついに弱点を聞き出しペリシテ人はそれによってサムソンを捕らえるが、  のちにサムソンによって復讐をされる。

第22話   免罪符  贖宥状。  西方教会では罪の許しのために、痛悔(反省)、  告白、償いのプロセスが必要とされ、その償いは重いものであったが、  中世以降カトリック教会がその権威で償いを軽減するという思想が生まれ、それが贖宥である。  マインツ大司教であったアルブレヒトが、  多額の献金を行うために、  その献金をひねりだすため大々的にこれを販売した。  ルターは「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」と  宣伝されていることが問題であると考え、  贖宥状の購入のみで、悔い改めもなしに罪が許されるのは贖宥行為の濫用とした。  ルターはアルブレヒトの「指導要綱」には  贖宥行為の濫用がみられるとして書簡を送り、それがのちに宗教改革の発端となる。  銀貨30枚  ユダがイエスを祭司長たちに売ったときのイエスの値段。  ちなみに当時、銀貨30枚とは、牛一頭、もしくは奴隷一人の値段である。  増えるパンや魚
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。(マタイによる福音書:14章14節〜21節)
 港がスカウトポイント  12使徒のうち、港でイエスの弟子となったことが明らかなのは、  ペトロ、大ヤコブ、ヨハネ、アンデレ。  アナンダの悟り  ブッダが涅槃に入るまで、アナンダは悟ることが出来なかった。  悟っていなかったため、経典を編集する際、口述ができる立場ではなかったが、  ブッダの言葉を一番よく覚えている人物であったため指導が続けられ、  その疲れで倒れこんだときに悟ったとされる。  サーリプッタ  舎利弗。二大弟子の一人。ラーフラの後見人でもある。  釈迦より年長だった。  ディーバダッタ  提婆達多。もともとは釈迦の弟子であり、いとこ。阿南(アナンダ)の兄という説が一般的。
1.人里離れた森林に住し、村邑に入れば罪となす。
2.乞食(托鉢)をして、家人から招待されて家に入れば罪となす。
3.ボロボロの糞掃衣(ふんぞうえ)を着て、俗人の着物を着れば罪となす。
4.樹下に座して瞑想すべきで、屋内に入れば罪となす。
5.魚肉、乳酪、塩を食さず。もし食したら罪となす。
 という五事の戒律が受け入れられず、新しい教団を分裂して作ろうとした。
破和合僧(はわごうそう)、釈迦教団を出て分派活動を行った。
出仏身血(すいぶつしんけつ)、山頂から大石を落として釈迦仏の足の指から出血させた。
殺阿羅漢(さつあらかん)、釈迦仏を殺さんとしていた所を蓮華色比丘尼にとがめられ、彼女を鉄拳で殺した。
 という三逆罪を犯したことで、無間地獄に落ちたとされるが、  教団を分った以外は事実ではないという説もあり、  大罪を犯したという事実は仏教学者からは疑問視されている。  三逆罪を犯した後、自身の爪に毒を塗り釈迦を殺そうとし、地中からの炎の暴風に巻き込まれる。  この瞬間悔いて「南無仏」と言おうとしたが焼き尽くされ、  阿鼻地獄へと堕ちていったとも言われている。  ディーバダッタのブッダ暗殺計画の順序は以下の通り  動機:教団の座に就きたい(ブッダの高齢を理由に引退を勧めるが、ブッダはディーバダッタの意図を掴んでいたため同意せず)  →暗殺を企てる  殺し屋を雇う。だが、殺し屋達はブッダの姿に心を動かされ、帰依してしまった。  →事故を企む。ブッダがグリダラクータ山を通りかかったとき、岩が転がり落ちてきた。   が、命中せず、ブッダがかすり傷を負っただけだった。  →人間を使った企てが失敗したので、理性を持たぬ猛獣を使った(ナーラーギリという戦争用の象)  →ブッダが恐れる気配がなかったので、象はその慈悲に打たれ足元にうずくまった。 (出典 ジャン・ボワスリエ著、木村清孝監修「ブッダの生涯」(1995年 創元社)) (情報提供:二階建ての図書館さん)  ヤコブのはしご  創世記に記された、ヤコブが見た夢。
そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。(創世記28章)
 ブッダが生まれたとき  アシタ仙人は神々に人間界に菩薩が生まれたと教えられ、  王宮まで太子誕生の祝いを述べに行った。  太子の前で涙するアシタ仙人に王がその理由を尋ねると、  人間界に菩薩が生まれ、それはこの太子であると神々に告げられたと述べた。  Gペンが体内に入る夢  ブッダの母は白い象がお腹に入ってくる夢を見て、妊娠を知ったとされている。 inserted by FC2 system