BACK 第16話 第17話 第18話 第19話 第20話 第21話 第22話 3巻 元ネタ・宗教用語
第16話 右の窓から温風を流すなら〜 右頬を殴られたら左頬をも差し出しなさい ペトロ イエスに従った使徒たちのリーダー。 使徒のなかでも代表としてイエスに問いかけたりする中心的人物。 もとは漁師だった。 ガリラヤ湖の男 イエスの奇跡の一つ。 マルコ6章 弟子たちが風により船をこぎ悩んでいると 陸地にいたイエスが湖の上を歩き弟子たちのところに行った。 弟子たちは驚き幽霊だと思い大声で叫んだ。 イエスは、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言った。 そしてイエスが船に乗り込むと風はやんだが、そのことにまた弟子たちは驚いた。 (これは水上歩行以前にあった魚二匹とパン5つで5000人を満腹にした奇跡を 弟子たちが理解していなかったために、このようにひどく驚いた、という意味。) (ちなみにこののちペトロが水の上を歩こうとしたが 途中までは歩けたものの、疑念を抱いてしまったため沈み始めた、と続く) ペトロの若さ ブッダが生きていたのは、一説に紀元前463年-前365年、 もしくは前560年-前480年などと言われており、 イエスが紀元前4年に生まれたことを考えれば、 ペトロやイエスに比べブッダはかなり以前に生まれている。 そこから「若さ」という発言が出たのかもしれないし、 ブッダは80歳で入滅していることからも、 約32歳で磔にされたイエスのことを考えれば、若いと言える。 (ただしこの場合、ペトロは生年は不明だが67年に処刑されているので、 若いうちに死んだわけではなく、「若さ」にはつながらない。 生きていた時代で考えての「若さ」ととらえたほうが自然。) ピラトの裁判 ピラトとは、 ユダヤとサマリヤを収めていたピリポが暴君であったことを直訴されたローマ皇帝が、 総督を派遣したが、その5代目。 当時ユダヤ人たちは、神の子だというイエスが神を冒涜したといい、イエスを死刑にしようとした。 しかし、このころのローマの法律では、ユダヤ人が死刑の執行をすることは許されておらず、 ローマの裁判で決するしかなかった。 そのため、ピラトのところまでイエスをつれていき、 死刑にしてもらおうと考えた。 しかし一方で、神への冒涜という罪では、ユダヤ内の宗教問題であり、ピラトは興味を示さない。 なので「ユダヤ人の王」としてイエスをつれていき 政治犯として円滑に死刑にしてもらおうと考えた。 この裁判を描いた名画「ピラトの前のキリスト」がある。 汝の敵を愛せよ マタイの福音書5章44節。 天の国は彼らのものなのに 「子供たちを来させなさい。 私のところに来るのを妨げてはならない。 天の国はこのような者達のものである」(マタイ 第19章14) 人々が自分の子供(『ルカ』には「乳飲み子」と書いてある)を連れてきて、イエスに触れてもらおうとした。 弟子達がこの光景を見て叱ると、イエスは「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、 決してそこへ入ることはできない」と弟子達にたしなめた。 (情報提供:二階建ての図書館さん) 7つのラッパ ヨハネの黙示録8章より。 ヨハネの黙示録では、著者が自らをヨハネと名乗り、終末についてみた幻を記している。 小羊が解く7つの封印のうち、 最後のものが解かれるとき七のラッパ吹き(天使)が現れるとされる。 第一のラッパ。地の3分の1を焼き払う。 第二のラッパ。海の3分の1を減らす。 第三のラッパ。川の3分の1を毒にする。 第四のラッパ。昼の時間を3分の1に。 第五のラッパ。奈落の王アバドンが現れ人を苦しめさせる。 第六のラッパ。4人の御遣いを解放して人間の3分の1を殺させる。 第七のラッパ。神の支配をつげ、キリスト教徒でない人間を殺すために雷、大地震、大粒のひょうを降らす。 ちなみに黙示録の解釈にはさまざまある。(預言書、文学etc) 出家前の座禅 手塚版ブッダの7章『ラーフラ』〜8章『五人の行者』に 「四門出遊を経て出家の意思を固めたシッダルタが、ヤショダラに懐妊を告げれ、 それでも出家する気は変わらないと宮殿の屋上(?)で座禅を組み続けます。 当然父王やヤショダラ妃は思いとどまらせようと躍起になる」 というシーンがあるそうです。(情報提供:もちもちさん) 仏典に同じような記述があるかは不明ですので、ご存知の方がいらっしゃいましたらご連絡ください。
第17話 神殿の商売人 マルコによる福音書より。 イエスが怒ったことで、群集は驚き、 祭司長や律法学者はイエスをどう滅ぼそうか考え始めた。
11:15彼らはエルサレムにやって来た。そしてイエスは神殿に入り,神殿で売り買いしていた者たちを追い出し始め,両替人たちの台とハトを売る者たちの腰掛けをひっくり返した。11:16だれにも神殿を通って器物を運ぶことを許さなかった。11:17彼は教えて,彼らに言った,「『わたしの家はあらゆる民族のための祈りの家と呼ばれるだろう』と書かれていないだろうか。それなのにあなた方は,それを強盗たちの巣にしてしまった!」(マルコによる福音書第11章) |
6:1そこから出発して,彼は自分の故郷に入った。弟子たちも彼に従った。6:2安息日になると,彼は会堂で教え始めた。耳を傾けた大勢の人は驚いてこう言った。「この人はこうした事柄をどこから得たのだろう」。また,「この人に与えられた知恵はいったい何だ。このような強力な業が彼の手によって生じるのはどうしたことだ。6:3この人は大工ではないか。マリアの息子で,ヤコブ,ヨセ,ユダ,シモンの兄弟ではないか。その姉妹たちは我々と共にここにいるではないか」。人々は彼のために不快になった。(マルコによる福音書6章) |
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。 石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。 そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。 これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、 互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」 主は彼らをそこから全地に散らされたので、 彼らはこの町の建設をやめた。 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。 主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、 また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。 |
(ラーフラがまだ戒をうけていないとき、戒をうけたものと普通の信者で別々に寝るよう釈迦が決めたため、ラーフラは釈迦と別々で寝なければならず、また、世話をしてくれる比丘もいないためどうしたらいいかわからず、トイレで寝たという話がある。翌朝事情を聞いた釈迦は戒をうけていないものでも勝手がわかるまで比丘の部屋にいてもよく、三日目までに部屋を探せるよう比丘に世話をしてもらってもよいと規則を変えた。) |
マタイによる福音書21章18節カ〜19節 朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。 そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、 そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当たらなかった。 そこでその木にむかって、 「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」 と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。 マルコによる福音書11章12節〜14節 翌日、彼らがベタニヤから出かけてきたとき、イエスは空腹をおぼえられた。 そして、葉の茂ったいちじくの木を遠くからごらんになって、その木に 何かありはしないかと近寄られたが、葉のほかには何も見当たらなかった。 いちじくの季節でなかったからである。 そこで、イエスはその木にむかって、 「今から後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」 と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。 20節 朝はやく道をとおっていると、彼らは先のいちじくが 根元から枯れているのを見た。 (情報提供:ヘルタースケルターさん) |
さて、一同はゲッセマネという所にきた。そしてイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」。 そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここで待っていて、目をさましていなさい」。 そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、 「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。 それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが肉体は弱いのである」。 また離れて行って同じ言葉で祈られた。 またきてごらんになると、彼らはまだ眠っていた。その目が重くなっていたのである。そして、彼らはどうお答してよいか、わからなかった。 三度目にきて言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。もうそれでよかろう。時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。 立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。 (マルコによる福音書14章) |
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペトロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 (マタイによる福音書4章) |
21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」 |
ヤハウェ・エロヒム[1]は地上に増えた人々やネフィリムが悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神に従う無垢な人」であったノア(当時600歳)に天使アルスヤラルユル(ウリエル)を通じて告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。ノアとその家族8人は一所懸命働いた。その間、ノアは伝道して、大洪水が来ることを前もって人々に知らせたが、耳を傾ける者はいなかった。 箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。 40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。 ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす生け贄を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。その契約の証として、空に虹をかけたという。 (創世記) |
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。(マタイによる福音書:14章14節〜21節) |
1.人里離れた森林に住し、村邑に入れば罪となす。 2.乞食(托鉢)をして、家人から招待されて家に入れば罪となす。 3.ボロボロの糞掃衣(ふんぞうえ)を着て、俗人の着物を着れば罪となす。 4.樹下に座して瞑想すべきで、屋内に入れば罪となす。 5.魚肉、乳酪、塩を食さず。もし食したら罪となす。 |
破和合僧(はわごうそう)、釈迦教団を出て分派活動を行った。
出仏身血(すいぶつしんけつ)、山頂から大石を落として釈迦仏の足の指から出血させた。 殺阿羅漢(さつあらかん)、釈迦仏を殺さんとしていた所を蓮華色比丘尼にとがめられ、彼女を鉄拳で殺した。 |
そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。(創世記28章) |