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一巻 元ネタ・宗教用語

第一話   涅槃図(1p)  釈迦涅槃の様を描いた涅槃図が元にある。  涅槃とは釈迦の死。 「涅槃図」は狩野永納の作品であり、  北枕で西向きに横たわる釈迦の周りには弟子や動物たちが集まり嘆き悲しんでいる様が描かれている。  苦行(2p)  身体を痛めつけることで精神を高めようとする行為。  眉間白毫(4p)  眉間のやや上に生えている。毛が丸まっている。  光を放って世界を照らす。

第二話   螺髪(らほつ)  仏像の丸まった髪の毛。右巻き。  ブッダの耳  二巻いわく、人々の声をよく聞くために大きい。  ちなみにブッダは出家以前ピアスをしていて、  耳に穴があいたように作られている仏像もある。(本作では描かれていない)  

第三話   マリアさん  イエスの母。聖母マリア。  イエスのうさぎの付け耳  復活祭=イースターでは習慣として色をつけた卵をくばったり(イースターエッグ)、  多産の象徴として、うさぎをイースターバニーといってモチーフにする。(情報提供:そでさとさん)  聖痕  イエスが磔刑されたときについたとされる傷。別名「イエスの焼印」。  釘を刺された左右の手足、そしてロンギヌスの槍によって刺された脇腹の五箇所、というのが一般的であるが  かぶせられた荊冠による額の傷や十字架を背負った際の背中の傷、血の混じった涙や汗なども含まれる。  信者に現れることもあり、奇跡とされる。  「80歳以上の〜」  ブッダが入滅(亡くなった)のは80歳過ぎ。(情報提供:龍さん)  ハレルヤ  「主をほめたたえよ」  後光  如来や菩薩は智慧の光を放つとされている。  この光は隅々にゆきわたりあらゆる生物を救う。

第四話   仏の顔カウントダウン  「仏の顔も三度まで」  しかし実際のところこのことわざの由来となった話で釈迦が4度目に怒ったわけではない。  釈迦の出身国とコーサラ国が対立し、コーサラ国の兵が攻め入ってきた。  挙兵され二度目までは釈迦は手を打ちなんとか兵を退けたが (その方法については、説得した、だとか修行者がいたら兵は退けなければ  ならないので道途中で瞑想をした、だとか、コーサラ国側が釈迦を尊敬していたからだとか諸説あります)  三度目はもはや釈迦はなにもせず、コーサラ国によって国はほろんだというもの  キノコで食中毒  釈迦の死因は豚肉か茸による食あたり。  ひどい下痢で苦痛があったとのこと。  パーヴァ村の鍛冶工チュンダ(純陀)からキノコ料理の供養を受けた。  ブッダはそのキノコ料理に当たってしまい亡くなった。 (出典 佐々木宏幹「図解雑学Q&Aやさしくわかる仏教」(2006年 ナツメ社))  (情報提供:二階建ての図書館さん)  いばらの冠に花  もともといばらの冠とはイエスが磔刑にされる際にかぶせられたもの。  イエスが民の代わりに苦しみを背負った象徴。  それに花って…

第五話   ゆださん  イスカリオテのユダ。  イエスを裏切った弟子。  裏切りの動機については諸説ある。 (金、イエスへの深すぎる愛情、イエスを十字架に架けるために「神が使わした」等。)  ちなみにゆださんのmixi写真は北斗の拳の「ユダ」。(情報提供:ひでろうさん)  スジャータの乳粥  ブッダは6年苦行を続けたが、苦行のみでは悟りをえられないと理解し、  苦行により生死の境にあった体を清めるために、なんとか川にたどりつき沐浴を行った。  スジャータはそのとき沐浴をしていたブッダに乳がゆを供養し命を救ったという娘。  その後ブッタは心身を回復させ、悟りをえた。  断食 石をパンに  イエスもブッダも断食は経験している。  ブッダはあらゆる苦しみは食料を縁にしておきるとしている。  イエスの場合断食をして空腹を覚えると悪魔が現れ、  石をパンにかえたらどうだと誘惑した。  イエスは「人はパンだけで生きるものではない。  神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と返した。  新世界の神になる  デスノートより。  主人公夜神月が、名前を書くだけで相手を殺せるノートを手に入れたことで、  自らが望む新しい世界を創造しようと宣言する台詞。  第一話に掲載された。  (情報提供:二階建ての図書館さん)  マッチ持参の猫  仏教説話。行き倒れの旅人を助けようとしたうさぎやたぬきやさる。  しかしうさぎはできることがなかったため「わたしを食べてください」と自ら火にとびこんだ。 (この姿が月の模様であるといわれている)  仏典によってはそのウサギがブッダに生まれ変わったとするものもある。

第六話   イエスの洗礼  川の中でヨハネにより行われた。  洗礼をおえると空が開け、神の霊が鳩のように降りてきた。  そして天からイエスこそが自分の子であるという神の声が聞こえたとされる。  現代の洗礼では多数の教派が川での洗礼を採用していない。(古代は浸水礼が一般的だった)  また、イエスは洗礼がおわるとすぐ川からあがったが、  これは通常洗礼の後川の中で自らの罪を告白するが、イエスには罪がなかったからだとする説がある。  水上歩行  マルコ6章  弟子たちが風により船をこぎ悩んでいると  陸地にいたイエスが湖の上を歩き弟子たちのところに行った。  弟子たちは驚き幽霊だと思い大声で叫んだ。  イエスは、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言った。  そしてイエスが船に乗り込むと風はやんだが、そのことにまた弟子たちは驚いた。 (これは水上歩行以前にあった魚二匹とパン5つで5000人を満腹にした奇跡を  弟子たちが理解していなかったために、このようにひどく驚いた、という意味。) (ちなみにこののちペトロが水の上を歩こうとしたが  途中までは歩けたものの、疑念を抱いてしまったため沈み始めた、と続く)  水が割れる  モーセが起こした奇跡。イスラエル人を助けるために葦の海が割れた。  脇の傷  ゴルゴダの丘での磔刑によってついた傷。ロンギヌスの槍による。  イエスが死んだか確かめるために刺したとされる。  これもまた聖痕といわれている。

第七話   砂絵  インドでは諸神を招くとき  魔方陣、マンダラを色砂で描いて秘術を行っていた。  チベット仏教では今でも儀式、祭礼の際行われる。 (マンダラとは聖域や悟りの境地などを視覚的に表したもの)    おわんが意味深  絵画などでイエスキリストの持つものはさまざまな象徴として描かれており議論もされる (いばらの冠、ワイン、聖杯、パンなど)  そのことからおわんが何か意味を持つのではないか、と議論になるのではということ。  三度も私を知らないと言ったな!  イエスの弟子ペトロは最後の晩餐のとき「鶏が鳴く前にあなたは三度私を知らないというだろう」といわれていた。  イエスが逮捕されるとペトロは弟子の中でただ一人逃げずにイエスを追ったが、  ほかの人から問い詰められ、三度も「イエスなんて知らない」といってしまう。  そしてちょうどそのとき鶏が鳴いた、という話。  天上天下、唯我独尊  ブッダが生まれたとき、七歩歩き、八方を見渡したがどちらにも自分より尊い者はなく、  天と地を指差して「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説。  しかしこれはもともとは釈迦以前の第一仏・毘婆尸仏が誕生の際に言ったとされる言葉で、  釈迦が生まれた際、周りの人がその言葉で賛美したことが由来となって  生まれたとたん釈迦が言ったのだという説になった。  自己中心な意味ではないが、解釈にはさまざまな説がある。     アナンダ  ブッダの弟子。出生には諸説ある。  一般的なものでは、ブッダが悟りをひらいたときにうまれたいとこで30歳年下の弟子と言うもの。  また一方でこのような説もある。  ブッダの弟子で、年上のいとこでもある。  アナンダは年上であったため、  ブッダは出家するまでは彼の言うことを必ず聞かなければならなかった。  そこでアナンダはその掟が有効なうちに  出家の後もブッダの世話をさせるように頼んでいた。      肋骨ダンス  肋骨ダンスは作者の創作だそうです。(by雑誌)  (ハンガさんありがとうございました) inserted by FC2 system